《男の言い訳》

題しらす よみ人しらす

おもへともひとめつつみのたかけれはかはとみなからえこそわたらね (659)

思へども人目堤の高ければかはと見ながらえこそ渡らね

「題しらす よみ人しらす
思っても人目の堤が高いので、川と見ながら越え渡ることができないが・・・。」

「(思へ)ども」は、接続助詞で仮定を表す。「つつみ」は、「慎み」と「堤」が掛かっている。「(高けれ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「かは」は、「川」と「彼(か)は」の掛詞。「えこそ」の「え」は、副詞で文末の禁止と呼応する。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし後の文に逆接で繋げる。「(渡ら)ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。
あなたを思う気持ちが無い訳ではありません。それどころか、あなたを思う気持ちでいっぱいなのです。それなのに、一方で人目を憚る心がまるで川の堤のように高いのです。それで、あれはあの人だと堤越しに川を見るようにあなたに近寄ることもできないのですが・・・。
作者は、相手を訪ねることができない言い訳をしている。相反する思いに支配される今の自分をわかってもらおうとするためである。人目が気になり訪ねることはできないけれど、相手を何とか繋ぎ止めてはおきたいのである。
前の小町の歌とは対照的な内容である。編集者は意図的に並べている。これは、男ができる女に対する精一杯の言い訳だろう。この歌は、そんな男の心理をよく表している。男女の違いがよくわかる。一方、技巧的な歌である。掛詞を使いつつ「堤」「高ければ」「渡らね」と「川」に縁のある言葉でまとめている。また、文末は「こそ・・・已然形」で含みを持たせている。事態は変えられないけれど、せめて歌の出来映えによって誠意を伝えようとしている。編集者は、こうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    なんとも煮え切らない態度が伝わってきます。川を渡るには堤が高すぎて渡るに渡れない(あなたに会いに行きたい思いは確かにあるのだけれど、あなたの高い身分を思うと人目を気にするあまりそう簡単に会いに行けない)。小町の歌への返歌ではないのでしょう。でも、編集が絶妙で下手れた男の言い訳に聞こえてくるところが面白いです。

    • 山川 信一 より:

      堤の高さは、様々な障害をたとえていますが、身分の高さを暗示しているのかも知れませんね。編集には編集者の遊び心が伺えます。続けて読んで飽きない歌集にしていますね。

  2. まりりん より:

    まあ、何と気の小さな人でしょう。本音が出てしまったのでしょうけれど。贈られた女性ががっかりして気持ちが冷めてしまいそうです。
    確かに前の小町の歌と比較すると対照的で面白いですね。

    • 山川 信一 より:

      これは、性差や個人を超えて当時の文化によって規定された結果なのでしょう。その文化の枠を外してみると、男が愚かしく見えますね。

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