《満たされない恋》 古今集 巻十三:恋三

やよひのついたちよりしのひに人にものらいひてのちに、雨のそほふりけるによみてつかはしける 在原業平朝臣
おきもせすねもせてよるをあかしてははるのものとてなかめくらしつ (616)

弥生の一日より忍びに人に物ら言ひて後に、雨のそぼ降りけるに詠みて遣はしける 在原の業平
起きもせず寝もせで夜を明かしては春の物とてなかめくらしつ

「晩春の三月の一日から内密に女と語らう機会があり、語り終え家に帰ってきた後に、雨がしとしと降る時に詠んでやった 在原業平
起きもせず寝もしないで夜を明かしては春のものだとして一日長雨を物思いに耽って眺め暮らしてしまった。」

「(せ)ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「(せ)で」は、打消の意味を伴う接続助詞。「ながめ」は、「長雨」と「眺め」の掛詞。「(くらし)つ」は、意志的完了の助動詞「つ」の終止形。
あなたとようやくお話しする機会が持てました。それはそれは幸せなひとときでした。ただ、直接お逢いするまでに到りませんでした。そのために、私は満たされぬ恋の思いに悩まされ輾転反側の夜を過ごすことになりました。夜が明けると春の長雨がそぼ降っておりました。その雨はまさに満たされない私の思いそのものです。あなたのことを思いながら一日中、そぼ降る雨を眺め暮らしてしまいました。あなたは罪なお方です。
片思いの恋が実り、遂に話をする機会が持てた。しかし、その先には進むことができず、家に帰ってきた。そのため、悶々と眠れない夜を過ごす。次の日は雨が降っていた。それに託して自分の思いを伝えた。作者には恋の駆け引きなど無い。自分の気持ちを正直に述べることが相手の心を動かすと信じているようだ。
長い詞書が付いている。「題知らず」の歌とは対照的に特殊な状況での歌であることがわかる。物語性が加わり、作者が業平であることもあり、読み手の想像力を刺激する。編集者は、歌が現実の場面でいかに詠まれるかを示したのだろう。『伊勢物語』の第二段にも出て来る歌である。和歌集から物語が生まれる流れがうかがわれる。

コメント

  1. すいわ より:

    「忍びに人に」、まだ距離感があるのですね。話す事は出来たものの逢うことは叶わないまま帰途につく。その夜から眠れぬ夜を過ごす。私の心模様を映すかのような春の長雨、あの日、御簾越しに話したことが思い起こされる。雨の御簾の向こうにあなたがいるようで、日がな一日、何とは無しに降る雨を眺め入ってしまうのですよ、、
    こんな歌を受け取ったら、雨を見る度に詠み手を思い起こさずにはいられません。

    • 山川 信一 より:

      恋は元々忍んでするものなのに、敢えて「忍びに」と言うのですから、これは許されない恋であることを仄めかしているようです。二人は相思相愛なのに結ばれることは許されない、そんな関係なのでしょう。だからこそ、語らうことはできても逢うことはかなわなかったのです。そうしてみると、物思いのほども想像されます。春のそぼ降る長雨のように気分も晴れることがありません。これは相手を口説くための歌ではなく、思いを共有し慰め合うための歌のようです。

  2. すいわ より:

    業平なのに悶々として、、と思ったら、あぁ、そうですね、きっと二条の、、。

  3. まりりん より:

    そうですね、私も先生が仰るように、結ばれない運命の二人かなと思いました。相手が人妻とか。片思いが実って、今や相手の心も自分に向いている。日がな一日春雨を眺めながら、それで充分、満足するべきなのだとは考えなかったでしょうか。。

    • 山川 信一 より:

      恋=未練と言っていいほど、恋とは諦めのつかないものではありませんか?「それで十分、満足すべき」と思えるなら、恋は終わっています。許されない恋ほどいつまでも未練が続きます。ゆえに、許されない恋こそ真の恋とも言えます。

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