《しんみり続く恋心》

題しらす ふかやふ

ひとをおもふこころはかりにあらねともくもゐにのみもなきわたるかな (585)

人を思ふ心は雁にあらねども雲居にのみもなき渡るかな

「題知らず 深養父
人を思う心は雁ではないのに、私はうわの空で泣いてばかりいることだなあ。」

「あらねども」の「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ども」は、接続助詞で逆接を表す。「(渡る)かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
大空を雁が鳴き渡っています。あなたにもその声が聞こえますか。あなたを思う私の心はあの雁のようです。雁ではないのに、何をしても上の空で、ただただあなたを思い、泣いて時を過ごしてばかりいます。
秋には鹿だけでなく雁も鳴く。作者は自分の恋心を雁の鳴き声に託して訴えている。相手が雁の鳴き声を聞いて、自分の恋心を感じてくれるようにしたのである。雁の鳴き声からは、鹿の鳴き声よりもしんみりとした恋心が伝わってくる。
582の歌は鹿だったが、この歌では雁を出してきた。「題知らず」は、読み手がどう読むかを限定していない。解釈の自由度が高い。鹿の鳴き声は男心のみを表すけれど、雁の鳴き声なら女心も表せる。したがって、この歌は女の歌としても読める。編集者はこうした点を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    大空に響き渡る雁の鳴き声は、空いっぱいに悲しみが漂っているよう。
    「あなたが何処に居ようとも鳴き声は聞こえている筈で、よって私の悲しみも当然ご承知の筈。」そんな風に訴えかけている気もします。

    • 山川 信一 より:

      平安時代には、大空を鳴き渡る雁の鳴き声が聞こえたのでしょうか?私はただの一度も聞いたことがありません。現代と違って、夜は暗いばかりでなく、静かだったのでしょうか?平安人は現代人よりも耳がよく、感性も鋭かったのでしょうが?そうなのかなあと思うばかりです。

  2. すいわ より:

    「雲居にのみも」の“も”をどう捉えれば良いのかわかりません。
    あなたには遠く離れた私の姿が見えないでしょうけれど、私はあの空を鳴き渡る雁のようにあなたを思って泣き暮らしているのですよ、、この歌も誰もが目にする秋空の風物をなぞらえることで気持ちを重ねやすいですね。「なきわたる」泣き続けるの意味と、訪ねて行っても会ってもらえないの意味もあるのか?とも思いました。

    • 山川 信一 より:

      「雲居にのみも」の「も」は、「のみ」を強めています。つまり、「雲居」という遠く離れたところでばかりを強めています。ですから、訪ねて行きようもなく、当然逢うことはできません。

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