題しらす 読人しらす
ひとめもるわれかはあやなはなすすきなとかほにいててこひすしもあらむ (549)
人目守る我かはあやな花すすきなどか穂に出でて恋ひずしもあらむ
「人目を伺う私であるかなあ。無意味だ。どうして表にあらわして恋いずにいられようか。」
「(我)かは」は、「か」も「は」も共に係助詞で疑問・詠嘆を表す。結びは省略されている。「あやな」は、形容詞の語幹で詠嘆も表す。ここで切れる。「花すすき」は、「穂」の枕詞。「などか」は、副詞で反語を表す。「恋ひずしもあらむ」の「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「しも」は、副助詞で強意を表す。「(あら)む」は、意志の助動詞「む」の連体形。
今の私は、人目をはばかっていると言えましょうか。全く何の甲斐もありません。どうしてあなたへの恋心を表にあらわさずにいられましょうか。そんなことは到底できません。それをお望みでないならば、どうかお逢いください。
作者は、思いの丈を一気に述べている。それによって、恋人に決断を迫っているのである。自分があなたに恋していることが露見するのが嫌なら逢ってほしいと。これは、一度は逢ったことがある関係なのだろう。そうでないと、この迫り方では無視されかねない。
前の歌とは、秋繋がりである。「花すすき」を目にする季節なのだ。それを詠み込んでいる。一方的で強引な迫り方ではあるけれど、作者の切羽詰まった息づかいまでが伝わってくる。効果のほどは計りかねるけれど、表現としては良くできている。編集者は、その点を評価したのだろう。
コメント
だいぶ強引ですね。見方によっては「脅し」?!
こういう強引さが好きな女性(男性)もいるでしょう。私はパスですが。。
一度逢って、忘れられなくなってしまったのでしょうね。相手がもし気に入っていなかったら、迷惑な話ですね。。
一体どんな状況なのでしょう。この歌は物語を感じさせます。こうして歌物語ができあがっていったのでしょう。『古今和歌集』は、物語作成のヒントがいっぱいです。
もう花咲いている芒を中央に据えて前は内省、後は口を突いて出た言葉。全自分を花咲く芒に喩えたのですね。ふわふわと揺れる心、もう止めることが出来ない。助詞の使い方で心の揺れを巧みに表現、若さを感じさせます。稲穂でないのできっと実らない。でも、歌の伸び代はありそう。
花すすきは、何者かを招く様子に見立てることもあります。それも暗示しているのでしょう。作者は若いのでしょうね。だから、相手の気持ちなどお構いなしに突っ走ってしまったのでしょう。でも、おっしゃるとおり、助詞だけでなく助動詞の使い方も上手い。その内、もっと相手の心を配慮した歌を歌えるようになるでしょう。