《別れの色》

人をわかれける時によみける つらゆき

わかれてふことはいろにもあらなくにこころにしみてわひしかるらむ (381)

別れてふ事は色にもあらなくに心に染みて侘しかるらむ

「人を見送る時に詠んだ  貫之
わかれると言うことは色でもないのにどうして心に染みてつらいのだろう。」

「(人)を」は、格助詞で離合する人を表す。「(あら)なくに」は、接続助詞で逆接を表す。「らむ」は、の助動詞で現在の出来事の原因理由の推量を表す。
別れというものは色ではないのに、どうして色みたいなのでしょう。色が物に染みるように別れは心に染みます。そして、色が物に跡を残すように、別れもつらさという跡を心に残します。一度染みが着いてしまったら、もう取ることはできません。私はこれからずっとこのやるせないつらさを感じ続けることでしょう。
作者は、別れのつらさやるせなさに色との共通点の発見した。だからと言って、それでつらくなくなるわけではない。けれど、ひとたび自分を納得させている。そして、相手に伝えることで自分の思いを共有して貰おうとしている。わかってもらえれば、少しは救いになると思うからだ。一方、読者にも、色によって別れを具体的にイメージさせようとしている。上で述べた以外には、別れの色とは、具体的にどんな色なのだろうと考えさせている。青か緑系統の色だろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど、じわじわと広がりその色に一様に染め尽くされてしまう。その場の「色」に支配されて侘しい。後戻りの出来なさもあるでしょうか。見えない心を色で表現する事で当事者だけでなく読み手にも感覚共有出来ます。
    別れなのに同じ色を共有する事で寧ろ何処にいても繋がりあえるようにも思えてしまいます。
    この講義の青文字、緑文字を見ていたので空気に触れると緑なのに青になる「藍色」が私は広がりました。別れる前と後では景色が変わる「哀色」
    『国語教室』自体は、、白でしょうか。まっさらな気持ちで授業に臨みたい。まっさらな心のノートに書き留めて行きたい。

    • 山川 信一 より:

      「藍色」=「哀色」、いいですね。「哀色」は、ドラマのタイトルにもなりそうです。ブルー系の映像で撮られた映画をイメージしました。
      「国語教育」のイメージカラーは白ですか。その理由を嬉しく思いました。ありがとうございます。ちなみに、私自身も白のイメージで捉えられることがあります。

  2. まりりん より:

    なるほど、心に染みる別れを色に重ねる。その発想がすごいですね。
    人を納得させるのに色を用いるのは、イメージか湧きやすくて効果的だと思います。
    別れの色、どんな色でしょう。。別れは辛いけれど、色は死を思わせる黒系ではなく、枯れ草色のイメージかな。

    • 山川 信一 より:

      まりりんさんにとって、別れは「枯れ草色」ですか。あまり、別れに美しいイメージを持っていないのですね。リアリストなのかな?

      • すいわ より:

        まりりんさんの「枯れ草色」、わかるような気がします。ワイエスの絵のような感じ。

        若草の頃、ここで共に過ごした人が今日、旅立つ。枯れ草の野は吹き渡る風に一斉に揺れて波立ち、行く人の姿を隠してしまう。過ぎ去った日々の思い出が草の海に映し出される。そこに一陣の風。私を今に呼び戻す。ただ一人、草原に立っている、、、。
        何故だかショパンの「別れの曲」を聞くと、こんな情景が思い浮かんできます。

        • 山川 信一 より:

          アンドリュー・ワイエスですね。たとえば、「クリスティーナの世界」の枯草に身を投げ出し、何かを追い求めている少女でしょうか?悲しくも美しい情景ですね。なるほど、甘く悲しいショパンの『別れの曲』が聞こえてきそうです。美しさを加えなければ耐えられない悲しみってありますね。

  3. まりりん より:

    美しい別れって、ありますかね、、?
    ああ、卒業とか、栄転で転勤とか、留学が決まって渡航とか、、確かに前途洋々の未来が前提の別れは美しいかも。

    国語教室のイメージは、私は小豆色です。現代国語の教科書の背表紙が小豆色だったことがあって、何年生の時のか忘れましたが、なぜがその学年のその教科書だけ記憶に残っています。それに、大嫌いだった文法の教科書の表紙も小豆色だったので。(他の記憶と混ざって創作しているかも知れませんが。。)

    • 山川 信一 より:

      すいわさんへのお返事にも書きましたが、美しく彩らなければ耐えられない悲しみはあります。世俗の成功不成功とは無関係に。まりりんさんは、幸か不幸かまだ経験なさっていないようですね。
      「大嫌いだった文法の教科書の表紙も小豆色」でしたか。O校の中学1年の国語には、口語文法がありました。次に習う文語文法への橋渡しでした。しかし、これは人気がありませんでした。私もそれを面白く教える力量がありませんでした。さぞつまらない授業をしたことでしょう。この場をお借りして謝ります。

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