《秋の味わい》

秋のうたとてよめる 坂上是則

さほやまのははそのいろはうすけれとあきはふかくもなりにけるかな (267)

佐保山のははその色は薄けれど秋は深くもなりにけるかな

「秋の歌ということで詠んだ  坂上是則
佐保山のははその色は薄いけれど、秋は深くもなったことだなあ。」

「ははその色は」と「秋は」の「は」は、どちらも係助詞で、取り立てを表す。両者を対照しているのだ。「深くもなりにけるかな」の「も」は、係助詞で、文末の終助詞「かな」と呼応して、詠嘆の思いを強める。「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「ける」は、詠嘆(気づき)の助動詞「けり」の連体形。「かな」は、詠嘆の終助詞。
佐保山のこならの紅葉は、深紅の色を示す植物に比べると色が薄いので、秋の初めを思わせるけれど、よく見れば、こならの色にもそれなりの秋の深まりがある。気付いてみれば、秋が深くなってしまったことだなあ。
こならの紅葉は、楓などと違って、その色は薄い。しかし、よく見れば、その色にも秋の深まりが感じられる。秋は様々な表情をしているのだ。決して一様ではない。したがって、味わいも限りがない。紋切り型の見方をしてはいけない。作者は、こならの紅葉を題材にこう言いたいのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    確かにコナラの葉の色付きは鮮やかさには欠ける。けれど、この色があればこそ、佐保山全体を眺めた時に、奥行きのある立体的な山の景色が完成される。この景色には何一つ欠くことが出来ないのだと、改めて感じさせられる歌です。とかく彩度に目は奪われがちだけれど、コナラの明度のもたらす効果に注目したのですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、紅葉はそれぞれに味わいがあるだけでなく、山全体としての味わいに役割を果たしているのですね。その意味で、鮮やかとは言えないコナラの紅葉も欠くことができませんね。山の紅葉の味わいには、鮮度・色相・明度全てが関わってきます。

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