《夢で逢う方法》

題しらす 読人しらす

ゆめのうちにあひみむことをたのみつつくらせるよひはねむかたもなし (525)

夢の内に逢ひ見むことを頼みつつ暮らせる宵は寝む方も無し

「夢の中で結ばれることを当てにしながら日を暮らしている夜は寝る方法も無い。」

「(見)む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。「(頼み)つつ」は、接続助詞で反復継続を表す。「(暮らせ)る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「(寝)む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。
私は、現実にあなたにお逢いすることがかなわないと思える日は、せめて夢の中でお逢いしたいと思い思いしながら日を暮らしております。ですから、宵の頃になると、そわそわしてきます。だって、どうやって寝たら夢の中であなたにお逢いできるかわからないのですもの。あなたが逢いに来ていただければ、そんな心配もないのですけど・・・。
いつの世でも、恋する者は、恋する人に、現実に逢えないならせめて夢で逢いたい、あるいは、現実だけではなく夢の中でも逢いたい思うようだ。だから、『古今和歌集』にも夢を詠んだ歌が沢山ある。たとえば、恋の巻二の巻頭には、小野小町の夢の歌が載っている。また、現代の歌謡曲にもそういう詞がある。しかし、どうやったら夢で逢えるかは、当然わからない。この歌はそんな戸惑いをテーマにしている。
編集者は夢の歌を続ける。516番の「宵宵に枕定めむ方も無しいかに寝し夜か夢に見えけむ」では、枕の位置に恋人を夢に見る方法を求めていた。しかし、確実な方法など有り得ない。やはり、現実に逢いに来てもらうのが一番確実である。この歌は、女の歌だろう。夢を題材にしながら、自分がどれほど恋人に逢いたいのかを伝えている。しかし、逢いに来てほしいという一番言いたいことは言葉にしていない。相手に想像させている。これなら、押しつけがましくなくて、かえって男心は動かされるに違いない。編集者は、その巧みな表現を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    『夢で逢えたら』歌謡曲で素敵な曲がありますね。いろんな方がカバーしています。
    現実では逢えない人に、せめて夢の中で逢いたい。そう言う発想は、ずっとずっと昔から変わらないのですね。
    本当に、どのようにすれば夢で逢えるのでしょうね。作者は夜毎に試行錯誤するでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      『夢で逢えたら』は、甘いいい曲ですね。聴いているだけでうっとりしてきます。私も大好きです。でも、実は「夢で逢えたら素敵なこと」とは限らないみたいですよ。次の歌をお読みください。

  2. すいわ より:

    文字通り、寝ても覚めてもあなたの事を思っている。今日は、今日こそはと愛しい人が来てくることを願っているのになかなか訪れる様子もない。ならばせめて夢の中での逢瀬をと、でも、確実にあなたに逢えるにはどうしたら良いのだろう?そんな風に枕の位置を変えてみたりしているといよいよ暮れ方が迫ってくる。気は急くのに夕暮れは待ってくれない、、こんな彼女の様子が想像されます。これは心動かされますね。

    • 山川 信一 より:

      『古今和歌集』の歌には、「詠み人知らず」が多いですよね。この歌もそうですが、詠み手を男女に限定していません。だから、この歌だって男の歌である状況は考えられるのです。その状況を考えさせる装置にもなっています。『古今和歌集』からどれほどの物語が生まれたことでしょう。『源氏物語』は、その中の最高傑作だったのでしょう。とは言え、この歌は女の歌に思えますね。

  3. らん より:

    ふむふむ、困ったなあ、分からないなあ、胸が苦しいなあという気持ちが伝わってきました。
    ほんとに、どうやったら夢で逢えるのでしょうね。
    思ったとおりの楽しい夢が見れればいいのにと私も思います。

    • 山川 信一 より:

      夢で恋人に逢えて、尚且つ心地よい夢である、そんな都合のいいことがそうそうあるとも思えません。作者の願望は叶えるのが難しそうですね。実際に逢うのが一番確実です。

    • すいわ より:

      らんさん、お久しぶりです!夢で会えた気分をちょっぴり味わった気分です!国語教室で会えて嬉しいです。

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