《まだ見ぬ人への恋》

題しらす 素性法師

おとにのみきくのしらつゆよるはおきてひるはおもひにあへすけぬへし (470)

音にのみきくの白露夜はおきて昼はおもひに敢へず消ぬべし

「噂にだけ聞く菊の白露は夜は置いて昼は日に耐えず消えてしまうだろう。」

「きく」には、「聞く」と「菊」が掛かっている。「おきて」には、「置きて」と「起きて」が掛かっている。「おもひ」には、「思ひ」と「日」が掛かっている。「(敢へ)ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「消ぬべし」の、「消」は、下二段活用動詞「消ゆ」の連用形が和歌の韻律の都合で縮約された形。「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形。「べし」は、推量の助動詞「べし」の終止形。
噂にだけ聞いていますが、菊の白露は夜に置いて昼には日に耐えられず消えてしまうそうです。私もその白露と同じです。人の噂に聞くだけであなたに恋してしまいました。あなたは優雅な菊の花で、私はそれに置く白露に過ぎません。あなたを思うと夜は寝られず起きたままです。そして、昼には思いに耐えられず死んでしまうに違いありません。恋がこんなに苦しいものとは思ってもみませんでした。こんな私を救うために、どうか逢ってください。
この歌は、女性の心を自分に向けるために詠まれた。菊とそれに置く白露が暗喩になっている。相手の女性は菊にたとえられる優雅な人であり、自分はその上に置く白露に過ぎないと言う。作者は、女性を持ち上げつつ、自分がどれほど恋に苦しんでいるかを相手の女性に訴え、その心を動かそうとしている。
これは、まだ逢ったことのない人への恋である。噂だけで恋心を募らせている。恋は、逢う前から始まっている。そして、既に死んでしまいそうになるほどつらく苦しいものになっている。恋には、こんな恋もあると言うのだ。

コメント

  1. まりりん より:

    大袈裟過ぎるような告白ですね。本心? あるいは、歌で如何に女性を振り向かせる事が出来るか、男性の間で競ったりしたのでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      大袈裟過ぎる?女性なら、かえって嘘くさく感じるかも知れませんね。多分、この歌では、実際に女は口説けないでしょう。女は男の弱音を聞きたくないでしょうから。母性本能に期待しても無駄です。むしろ、「あたしはあなたのお母さんじゃないのよ。」とでも言われそうです。
      ただ、歌で恋の程を競い合ってた可能性はあります。この歌に対して「大袈裟過ぎる」などと言ったら、「あなたがご存じの恋はその程度ですか。あなたは本当の恋を知りませんな。あなたがまだ本当の恋を経験なさったことがないことがよくわかりました。この歌にあるのが本当の恋なのです。しっかり味わいなさい。そのことは、あなたが本当の恋をすればおわかりになりますよ。でも、お気の毒に、あなたにはその日は来ないのかも知れませんね。まあ、知らない方が幸せってこともあるでしょうけど。はっはっはっはっはっ。」とでも言われそうです。

      • まりりん より:

        笑われてしまいましたね。ということは、この後は更に情熱的な歌が登場してくるのですね。楽しみにして、鑑賞します。
        恋の歌一連が終わった時に、自分だったら誰の歌に最も惹かれたか、お伝えしようと思います。
        すいわさんも是非!

        • 山川 信一 より:

          我々現代人は、平安貴族よりも恋に関心がありません。恋以外にしたいことがいっぱいあるからです。少子化も進むわけです。この際、恋を見直してもいいでしょう。『古今和歌集』は、いい教科書になりそうです。

        • すいわ より:

          そうですね、『伊勢物語』の時も恋愛偏差値限りなく低い私が読み続けられるのか?と思いましたが平安人の細やかな心の機微を知るのは楽しい経験でした。「恋歌」楽しんで参りましょう!

  2. すいわ より:

    前回の歌が少し大人の恋ならば今回のこの歌、自分の思いをストレートに伝えている所が若者のもののような気がします。平安時代、貴族の恋は先ず歌ありき、そこから如何にして会うところまで漕ぎ着けるか。貴女に会えなかったら朝露のように消えてしまうと情熱的にアピールしているかと思いきや、巧みに掛け言葉を忍ばせてポイントを稼ぐ。周到ですよね。どこで差を着けるかが腕の見せ所。そういう意味では前回の歌よりむしろ冷静に計算された歌のように感じられます。
    「恋の巻」始まったばかりですが、「これを読めば、こんな時、思いをどう伝えれば良いかがわかるヒント集」として皆挙って読んでいたのではないかと思ってしまいます。

    • 山川 信一 より:

      冒頭の歌は、『古今和歌集』の恋の歌を「恋とはこう言うものです。こういう歌が載っていますよ。」と紹介するような意味合いがありました。ここからは、具体的に恋のバリエーションが語られていきます。恋の始まりから恋の終わりへと。その意味では、この歌は若者の恋とも言えそうですね。まだ何も始まっていないのに、恋に恋する若者の姿が浮かんできます。

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