《和歌の体裁と真実》

はるのうたとてよめる  よしみねのむねさた

はなのいろはかすみにこめてみせすともかをたにぬすめはるのやまかせ (91

花の色はかすみにこめて見せずとも香をだに盗め春の山風

「春の歌と言って詠んだ 良岑宗貞
花の色は霞に閉じ込めて見せないにしても、せめて花の香だけでも盗んで持ってきておくれ、春の山風よ。」

下の句で「盗め」と作者が命じている相手は「春の山風」である。ならば、上の句の霞に閉じ込めて花の色を見せないのは誰か。これも、「春の山風」に語りかけているのであれば、やはり「春の山風」である。「春の山風」は、霞を一面に広げて花の色を霞の中に閉じ込めてしまった。意地悪をして、花の色を見せないのだ。それならせめて、花の香りだけでもいいから盗んできてほしい、風のお前なら容易いはずだろうからと言う。
霞が掛かって花の色が見えない残念な思いをこう表現したのである。
優れた歌は、いやすべての優れた言語表現は、謎解きであり、受け手を表現の謎解きに参加するように仕向ける。言わば、受動的な想像力を活性化し能動的にする。その意味で、この歌は優れた歌(表現)である。ただし、仮名序に次のようにある。
「すなはち僧正遍昭は、哥のさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなをみて、いたづらに心をうごかすがごとし。」(良岑宗貞は、僧正遍昭の俗名。)
この歌で言えば、桜の花にはほとんど香りが無いのに、有るのを前提で言っていることを指すのだろう。歌の様を整える一方、誠の感動が作り物になっている。

コメント

  1. すいわ より:

    山桜を霞に隠したのが山風なのだから、そこまで行くのは造作のない事だろう、せめて香りを盗み持って来い、と言うのですね。
    盗み持ってくるように命じて、風が山を駆け渡ったら、香りを持ち帰るだけでなく霞自体を吹き散らしてしまい山桜の姿も見えるようになる。こっちが本当の目的?本心を隠して風を騙して欲張りだなぁと私は思ってしまいました。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、山風は霞を広げることもできるのだから、吹き散らすこともできますね。盗むのは、悪役の山風にふさわしいけれど、それを利用して騙そうと企むのは愉快ですね。

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