《恋心》

かはなくさ ふかやふ

うはたまのゆめになにかはなくさまむうつつにたにもあかぬこころは (449)

うばたまの夢に何かは慰まむ現にだにも飽かぬ心は

「夢にどうして心が和むだろうか。現実にさえも満足できない心は。」

「うばたまの」は、「夢」に掛かる枕詞。「何かは」の「か」も「は」も係助詞で反語を表し係り結びとして文末を連体形にする。ここで切れる。以下は倒置になっている。「だにも」の「だに」は、副助詞。「も」は、係助詞。「さえも」の意。「(飽か)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
あなたに逢えないわけではありません。夢でも逢うことはできます。けれども、夢で逢ったところで、どうして心が慰められましょうか、そんなことはありません。なぜなら、現実に逢ってさえもこの恋に堪能しない心なのですから、夢で満足するはずがありません。私のあなたへの思いは尽きることがないのです。
「かはなくさ」は、淡水産の藻類の古称である。つまり、「かは(川)」の「くさ(草)」の意である。「な」と「の」は、母音だけの違いで、どちらも名詞を修飾する働きを持つ。
自分の恋心のほどを詠んだ歌である。川の流れに身を任せ、ゆらゆら揺れるだけで自ら動くことも出来ない「かはなくさ」に、思うようにならない自分の心を重ねている。

コメント

  1. すいわ より:

    全くわかりません。「な」を中央に5文字、「めになにか」「かはなくさ」!「水無月(水“な”→“の”月)」と一緒ですね、「かは“な”→“の”くさ」「川の草」。なるほど流れに揺られる水草の様はどうにも儘ならぬ心の動きそのものです。「夢の中でも逢いたい」ではなくて現実に逢っても足らないのに夢で会えたところで満足するはずがない、と。欲は止まるところを知らないし、コントロールも出来ない。辛いのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      表記としては「川奈草」と書きます。しかし、語源は〈川の草〉です。夢でも逢っているのでしょう。夢にその人が出て来るのは、その人が自分を思ってくれるからだと考えられていました。ですから、その人を責めているのではありません。逢っていても満たされることのない、抱きしめてさえ愛しくてならない恋心を言っています。恋とは、そういうものですね。制御できない川の藻のように。

  2. まりりん より:

    「かはなくさ(川な草)?」というのでしょうか。
    川の底でゆらゆら揺れている様子が、まるで揺れ動く恋心のようです。恋愛は、夢と現を行ったり来たり。夢物語に浸ったかと思えば現実に引き戻されて冷静になって。。いや、夢の世界だけを彷徨う人も少なくないでしょうけど。。

    • 山川 信一 より:

      正解です。なるほど、川の藻は夢と現を行き交う恋心に似てなくもありません。「川奈草」は、恋そのものの有様をイメージしているのかも知れません。しかし、ここまで来ると、恋は人を幸せにしてくれるのか、疑問になりますね。

  3. まりりん より:

    春日野の社に集い鹿は鳴く寂しさ故か空腹ゆえか

    少々興醒めですが。。

    • 山川 信一 より:

      情景が具体的でいいですね。それでは、「空腹ゆえか」を「妻求めてか」にしたらどうでしょう?
      *恋に泣く人をいつかは慰めむ恋人ならぬ行きずりの我  

  4. まりりん より:

    なるほど、その方が詩的で美しいですね! それに、現代の鹿は空腹で困る事は無いのかも。餌の与えすぎが問題になっているそうなので。 

    返し
    行きずりの君に慰められしゆえ現在(いま)の我あり有難きかな

    • 山川 信一 より:

      返しをありがとうございます。たとえ「行きずり」であっても、出逢いは大事ですね。大切にしましょう。

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