《薄情さを詰る》

×××、××× よみ人しらす

かくはかりあふひのまれになるひとをいかかつらしとおもはさるへき (433)

かくばかり逢ふ日の稀になる人をいかが辛しと思はざるべき

「これ程逢う日が稀になる人をどうして薄情と思わないだろうか。」

「いかが」は、疑問・反語の副詞。「いかにか」の転なので、係り結びとして働いている。「(思は)ざるべき」の「ざる」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「べき」は、適当当然の助動詞「べし」の連体形。
こんなにもお逢いする日が滅多に無くなってしまいました。私はそのお人をどうして薄情だと思わないでいられましょうか。思わずにはいられません。冷たいお方。もう私のことをお忘れなのでしょうか。
長い間訪れない男の薄情さへの女の恨み言を述べた歌である。女が逢いに来ない男に贈った歌だ。題と内容は一致していない。しかし、この二つの植物が二人にとって特別のものだったことを暗示しているようにも、二人自身を暗示しているようにも感じられる。読み手の想像力を刺激している。いずれにしても、二箇所に詠み込むとなると決して簡単なことではない。

コメント

  1. すいわ より:

    二つ、、一つ目は葵(これ、何故あふひと綴るのでしょう?前から疑問に思っておりました。“あお”ひ、だと本体とはかけ離れた色の印象になるからでしょうか?)もう一つは桂でしょうか。両方ともハートのような形の葉なのに一つの心になれない。葵(逢う日)はお日様、桂はお月様。すれ違い、同じ世界にいられない。切ないですね。

    • 山川 信一 より:

      正解です。葵がなぜ「あふひ」と表記されたのは、そう発音されていたからでしょう。なぜそう言われたのはわかりません。語源は難しいものです。無責任に想像すればすっくと立っている姿が日に向かっているようも思われたからかも知れません。(会う日)「あふひ」は、その後発音が変化して「あおい」になりました。この変化の理由も証明は難しいです。
      葵も桂も歯の形がハート型というのは、面白いですね。「葵(逢う日)はお日様、桂はお月様。すれ違い、同じ世界にいられない。」には、同感です。

  2. まりりん より:

    「くは(桑)」と「かつら(桂)」でしょうか。
    実が熟して食されるのを待つばかりの桑と、月の桂に例えられるように手が届かない遠いところに在る桂が、この二人を暗示しているように感じます。

    二箇所詠みこむのは、、ん〜難儀ですね。

    • 山川 信一 より:

      なるほど「桑」もありますね。ご指摘の意味では対照的です。ただ、「くは」だと音数が一致しません。もう一歩踏み込んでみることが大切です。考えることは疑うことです。

  3. まりりん より:

    「葵」でしたか。見事に外れました。そういえば、徳川家の家紋は葵ですよね。桂は、桂離宮が連想されて、両者とも高貴なイメージです。

    • 山川 信一 より:

      葵は葵祭もあります。特別な花だったのでしょう。桂と言えば月の桂ですね。手が届かないものを象徴しています。

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