《旅の未練》

たしまのくにのゆへまかりける時に、ふたみのうらといふ所にとまりてゆふさりのかれいひたうへけるに、ともにありける人人のうたよみけるついてによめる  ふちはらのかねすけ

ゆふつくよおほつかなきをたまくしけふたみのうらはあけてこそみめ (417)

夕就く夜覚束なきを玉匣ふたみの浦は明けてこそ見め

「但馬の国の湯へ行った時に、二見浦という所に泊まって夕食を食べる時に、一緒に来た人たちが歌を詠んだついでに詠んだ  藤原兼輔
今は夕暮れ時ではっきりしないから、二見浦は夜が明けてから見ようと思うが。」

「(覚束なき)を」は、接続助詞で原因理由を表す。「玉匣(櫛などを入れておく美しい箱)」は、「ふたみ」に掛かる枕詞。「(明けて)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし以下に逆接で繋げる。「あけ(開け)」は、「玉匣」の縁語。「(見)め」は、推量の助動詞「む」の已然形。
但馬国の温泉に連れだって行った折、二見浦に宿を取った。夕食後、皆で歌を詠んだ。
夕食が済み、時刻は夜に入ろうとする夕暮れ時になった。そのために、風光明媚な二見浦は、はっきり見えない。仕方がないので、二見浦は夜が明けてから見ることにしよう。とは思うものの、何とも物足りない気分である。
温泉旅行での旅心を詠んだ。旅の第一の目的が湯に入ることでも、その一方で、よい景色も見たいと思うのが旅心である。ところが、この日到着したのは夕暮れ時であった。腹が減っていたので、まず食事になったのだろう。空腹が満たされて、さあ景色を眺めようと思ったところ、時既に遅く暗くなっていた。そのため、辺りの景色がよく見えない。「やれやれ、夜が明けたら眺めるか」と思いつつも未練が残る。夕暮れ時の風景は拝めないからだ。その未練を「明けてこそ見め」の係り結びで表している。こういったケースも旅には良くあるに違いない。旅の「あるある」である。

コメント

  1. すいわ より:

    玉匣、箱だから蓋と実で開けるのですね。二見浦の明けるのを待つ、と。
    まだ薄っすらと明るいうちに宿に着き、ほっとしたら腹が減った。ともかくこの空腹を満たすのが先と、携帯してきた乾飯を取るものもとりあえず口にしたのでしょう。そしてひと心地ついた時にはすっかり辺りは暗くなってきていて、折角の景色もお預け。仕方がない、明日、日が登るのを待つとしよう、あぁ、それにしても残念。
    「ゆふつくよ」は夕月夜なのかと思いました。それにしても明るい月ではなかったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      玉匣が枕詞の理由はその通りです。「ふたみ」に「蓋と実」「二見」が掛かっています。「ゆふつくよ」が「夕月夜」だと、明るいイメージになって二見浦が見えることになりそうです。ただ、「夕月夜」がが出ていればなあという思いが暗示されているとも取れそうです。

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