《夏の短夜》

月のおもしろかりける夜、あかつきかたによめる  深養父

なつのよはまたよひなからあけぬるをくものいつこにつきやとるらむ (166)

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ

「月が趣深かった夜、夜明け前の頃詠んだ   清原深養父
夏の夜はまだ宵のままで明けてしまったが、雲のどこに月は宿っているのだろう。」

「ながら」は接尾辞で「本来それがあるままに」という意を添える。「明けぬるを」の「ぬる」は、自然的完了の助動詞「ぬ」の連体形。「を」は接続助詞。「らむ」は現在推量の助動詞の連体形。
月が何とも趣深く美しい。いくら見ても飽きない。だから、夜通し眺めている。しかし、夏の夜は短い。まだ宵の頃だと思っていたのに、もう明け方になっていた。まるで、夜が宵のままで明けてしまったようだ。気が付くと、月の姿が見えない。こんなに夜が短くては、月はその身を宿すべき西の山に辿り着く暇もないだろう。ならば、この雲のどこかに宿っているに違いない。いったいそれはどこだろう。
テーマは夏の短夜である。月を堪能する暇もないほど短いのである。それをもっと月を眺めていたい、諦めきれないという思いと絡めて表現している。誇張表現ではあるけれど、作者の心理をそのまま素直に表現したものである。決して、奇を衒った表現のための表現ではない。月を愛し、月を惜しみ、時の経つのも忘れ、一晩中月を眺めている平安歌人の優雅な生活ぶりがうかがわれる。仲間たちは、誰しもがこの歌に共感したことだろう。ちなみに、清原深養父は、清少納言の曾祖父にあたる。

コメント

  1. すいわ より:

    百人一首の中にこの歌、ありましたね。意味も考えずに覚えておりましたが、なんともおっとりして良い歌だなぁと今更ながらに思いました。
    きっとうつらうつらしながら月を眺め、夏の一夜を楽しんだのでしょう。冬の夜では寒さでこうはいきません。「月」に一晩中付き合うことは叶わない。シンデレラではないけれど、あっという間に過ぎてしまう夏の夜、帰り着くには時間があるまい、ならば何処に宿を借りたのだろう?と姿の見えなくなった月にどこまでも心を寄せている。夏ならではの優雅な愉しみですね。

    • 山川 信一 より:

      平安貴族の優雅な世界が背景にあるのがわかります。時間の流れる速さが今とは違います。短夜であっても、ゆったりと時間が流れています。

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