吉野の雪

題しらす              よみ人しらす

はるかすみたてるやいつこみよしののよしののやまにゆきはふりつつ(3)

春霞立てるやいづこ美吉野の吉野の山に雪は降りつつ

「立春となれば、春霞が立つはずだ。しかし、どこに立っていると言うのか。どこにも見えないじゃないか。しかも、ここは、美吉野と称される桜の名所である吉野の山なのだ。春なのだから桜が期待される。なのに、桜どころか、まだ雪が降り続けているではないか。これを桜と思えと言うのか。」

季節は暦通りには行かない。行きつ戻りつしながら進んでいく。それはわかっているが、それでも春への期待感は、それを裏切られた失望感を伴う。しかも、ここが桜の名所吉野の山であれば尚更だ。「みよしののよしのやま」という「よしの」の繰り返しには、吉野の山の桜への期待感が込められている。
「題しらす」は、この歌が詞書き無しで独立していることを示している。と言うことは、詞書きがある歌は、その条件で読まなければならない。詞書きと歌とは一体である。「よみびとしらす」は何らかの理由で名前を明らかにしない事情を示している。必ずしも、誰が読んだのかがわからないわけではない。

コメント

  1. すいわ より:

    立春の声を聞いて遠く吉野の山へ思いを馳せる。一面の桜が霞のように吉野山を覆うにはまだ時は満ちない。花より先に春の空気が入って霞立つか、いやいや、霞どころか山には雪が降り積んでいる。声は聞けども姿を現すにはまだ時間がかかりそう。離れた土地の距離感と名ばかりの春の間遠さ。「はるかすみたてるやいつこ」で吉野のその場ではなく、吉野山から離れた場所から眺めたものかと思いました。
    「よみびとしらす」が作者不詳という訳ではないことを初めて知りました。

    • 山川 信一 より:

      作者がいる地点ですが、吉野の山に雪が降っているのを見ているのですから、その様子が見える場所ですよね。どこまでを吉野と言うかはわかりませんが、京都での想像ではなさそうです。
      「はるかすみたてるやいつこ」は、吉野の山に雪が降るのを見て、ここに雪が降っているのだから、一体どこに春霞が立っているのかと思う気持を表しているのでしょう。

      • すいわ より:

        「ゆきはふりつつ」ですものね、降り続ける雪を見ているのですね。春まだ浅い山里のような場所でどんな人がこの歌を詠んだものか、、想像をかき立てられます。

        • 山川 信一 より:

          「よみひとしらす」としたのは、まさに人物を特定したくなかったからでしょう。読者の想像に任せています。

  2. らん より:

    春が待ち遠しいですね。
    桜が早く見たいと期待している気持ちが伝わってきました。

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