徒然草 吉田兼好 序段

つれづれなるままに日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

つれづれなる:変化が無くて単調な様。手持ち無沙汰な様。
日くらし:日を暮らすこと。「ひぐらし」と濁っていないことから、一語化が進んでいない形。
心にうつりゆく:心に映っては移って行く。
よしなし事:取るに足らないつまらないこと。
そこはかなとなく:とりとめもなく。
あやしう:妙に。不思議に。
こそ・・・已然形:係り結び。文を強調し、逆接で次の文に続ける。
ものぐるほしけれ:「ものくるほし」の已然形。「ものくるほし」は、「ものくるはし」と対の言葉で、「くるふ」の意味は弱い。馬鹿げた気分になる。

「手持ち無沙汰で気が晴れないままに日を暮らし、硯に向かって、心に映っては移ろっていくとりとめのないことを書きつけていると、妙に馬鹿げた気分になってくるのだが・・・」

書き始めの言葉である。自分の書くものが大したものではないと謙遜している。もちろん本音ではない。贈り物をする時に「つまらない物ですが・・・。」という心持ちに似ている。
注目すべきは、「こそ・・・已然形」の係り結びである。これは『徒然草』特有の文体と言っていい。そこで、問題にしたいのが、これを多用する作者の思いである。すべてを言い切らない、決めつけない態度である。これは、奥ゆかしくもあり、見方によれば、無責任でもある。さて、この先どういう評価を下したらいいか、確かめつつ読んでいく。

 

コメント

  1. すいわ より:

    「徒然草」、やったはずですよね。でも、冒頭のここしか覚えていません。この人、何を綴って行くのかなぁ、と思った事を思い出しました。先を読んでみたいと思いながら放置してしまいました。ここでこれから読めるのが嬉しいです。
    日常のほんのたあいのない身近な誰もが体験した、するであろう事、それを取り上げるなら、「言い切らず、決めつけない」方が読み手は自分に引き寄せて読みやすいですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好法師は、読み手が共感することをかなり意識して書いているように思われます。
      読者を感服させようとしているのかも知れません。

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