鴉と面皰

 その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞が、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖(あお)の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。

 今日は、美鈴が先生だ。美鈴はもう以前のような子どもじゃない。
「鴉の様子が書かれているけど、鴉の役割って何でしょうか?
「鴉って、ただでさえ不吉な感じがする。鳴き声も嫌な感じ。それが、夕焼けの中にごまをまいたような無数いるんだから、すごく無気味だよね。しかも、死人の肉を啄みに来るんだから尚更。つまり、無気味さを強調するため。」
「そうですね。じゃあ、「勿論、門の上にある死人の肉を、啄みに来るのである。」とあるけれど、「勿論」というのはなぜでしょうか?」
「読者としては、全然勿論のことじゃないけど、こう言われると「そういうものなんだな」と妙に納得してしまう。それを狙ったんだ。言葉の力を利用したんだね。」
「「勿論」と言いながら、羅生門の上には死体があることを知らせている。「勿論」には、余計なことを考えさせないで相手を自分のペースに巻き込む力があるね。」
「そうだね。「これは勿論のことだけど、一応言っておくね。」なんて言われると、知らないのが悪いことみたいに感じられる。」
「「一羽も見えない。」「鴉の糞が~見える。」と〈見える〉と言う動詞が使われているのはなぜですか?」
「読者をいかにもそれを見ている気にさせるため。糞の描写がすごくリアルだし。」
「読者が語り手と一緒にそれを見ているような気にするため。」
「では、それはなぜですか?」
「読者をこの小説のテーマについて共に考える立場に置くため。」
「ちょっと気が付いたんだけど、ここまでの間に「一」という数字がやたらに多くない?「「一人」「一匹」「一通り」「一羽」「一番」確かに・・・。」
「そう言えば、「二」と「三」も二回出て来た。「二、三人」と「二,三年」。そして、ここでは「七段」。やたらに数字を使っている。なぜ石段を七段にしたんだろう。ちょっと気になるね。また、後で考えようね。」
「「洗いざらした紺の襖」は、下人の着ている衣だね。洗いざらしとあるから、着る物が他に無いことが予想される。」
「「右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら」からわかることは何ですか?」
「この男が若いこと。年齢が行くと、同じような出来物は吹き出物と言ったりする。」
「あたしもたまにできるけど、腫れて疼くし気になるよね。大きいと特に嫌。」
「下人に親近感を覚えるな。昔の人でも同じなんだって。わかった!そう思わせるためなんだ。この話がますます単なる昔話じゃないように思えてくる。」
「すると、下人が何を考えているかが一層気になってくるね。」
 美鈴も読めるようになってきたね。質問が的確だった。それにしても、ニキビを気にする下人は何を考えているんだろう。年齢は少なくともまだ二十代かな。何かを悩んでいるみたい。それでなくても、若い時は悩みが多いからね。

コメント

  1. すいわ より:

    朱い夕焼け空に黒い鴉が何羽も飛び交っている様はなんとも異様ですね。でも、今日は雨が降っているはず?鴟尾が雨を匂わせてはいますが、その先に「もっとも今日は、刻限が遅いせいか、一羽も見えない」とやはり天候ではなく時間的な理由で鴉がいない、いえ、見えない、としています。ここが今回不思議に思いました。
    赤と黒のコントラストで羅生門の無気味な様子をクローズアップして刻限の遅さで鴉の黒より更に暗い漆黒の闇の訪れを暗示しようとしたのでしょうか。鴉の糞の白、紺の襖と様々な色も出てきますが、闇に飲み込まれてしまいます。恐ろしげな羅生門の石段を「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と一段ずつ唱えながらその七段を登ったでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、鴉は雨ですから飛び回る訳にはいきませんね。それとも、腹が空けばやってくるのでしょうか?それを刻限のせいにしているのは、疑問が残ります。「この雨のせいか」でもよかったような気がします。「見えない」については、他と同じで読者をそれを実際に見ている気にさせるためでしょう。
      赤と黒のコントラストは、血の海の中を蠢く虫を連想させます。無気味さを強調しているのでしょう。
      『羅生門』には、色が効果的に用いられていますね。「白」は空虚さ、「紺」は日常でしょうか。

  2. らん より:

    いつも何気なく使っていた勿論という言葉のことを考えさせられました。
    当たり前で、知らないことが悪いみたいな言葉ですね。
    わからないっていうのが恥ずかしくなる言葉だなあと思いました。

    赤い空に黒い胡麻ですか。
    うわ。。。胡麻が食べられなくなりそうです。。。
    ニキビから若いことがわかりますね。
    下人はぼんやり何を考えているのでしょうね。気になります。

    • 山川 信一 より:

      胡麻が食べられなくなりそうという感性はいいですね。
      何か発見してことがあったら、是非教えてください。

  3. すいわ より:

    「血の海の中を蠢く虫」、さながら血の池地獄ですね。薄暗がりの中、降り止まない、地面に吸い込まれる幾千万の雨が私には針の山のように見えていました。先生の仰るように、極めて視覚的な文章だなぁと思います。

    • 山川 信一 より:

      『羅生門』が「極めて視覚的な文章」というのは、その通りです。作者は目に見えるように表現を工夫しています。

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