メロスの復活

 ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。
私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい!私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。


 あたしは張り切っていた。メロス復活の場面だから。
「潺々(せんせん)という漢語がいいです。これは水がさらさら流れる様子を表します。漢語なんだけど、まるで擬声語みたいな働きをしています。滾々(こんこん)は、水が湧き出る様子。これはかなり一般的に使います。「雪や滾々」もここから来ているのでしょう。その泉の水を飲みます。「何か小さく囁きながら」とあります。あたしには、こんな声が聞こえてきました。これは女神の声なんです。「メロス、起きなさい。この水を飲むのです。走るのです。あなたは走るために生まれてきたのです。」きっと、そう囁いたんです。メロスは、まどろみとこの水で体力を回復します。それに従って精神も回復します。本来のメロスに戻ります。本来のとは、自分がそうありたい自分のことです。やっぱり、精神は肉体によって生まれるんです。メロスは、死んでも、義務を果たそう、名誉を守りたいと願います。「斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。」とあります。これは、時刻が夕方になってきたことを表しています。ここでも、イメージカラーの「赤」が出て来ます。メロスは、友の信頼に応えなければならないと思います。ここで再び自信を取り戻します。そこで、ダメになった先ほどの自分を否定します。あれは悪い夢だったんだと。そして、ありたい自分を取り戻します。正直な男として死にたいと願います。メロスにとっては、名誉が何よりも大切だったのです。」
「泉の囁きには共感するな。あたしにもそんな風に聞こえてきたよ。」と若葉先輩が共感してくれた。
「あたしも感動しちゃいました。メロス頑張れって思いました。」とメロスに厳しい美鈴までも。。
「そうね。私も同感だわ。ただ、メロスはさっきまでの自分を否定したでしょ。あれって、自分の真実の姿から目を逸らしてない?自分の力でそこから這い上がった訳じゃないわよね。泉の水を飲むという偶然に支えられている。メロスは、悟った訳じゃないんじゃないかな?つまり、前回出て来た「自分の弱さを認めた」上で、それを自分の力で克服した訳じゃない。あれも自分なのに、ただあれは悪い夢を見ただけなんだって、簡単に否定している。これってどうなんだろう?」と真登香班長が指摘した。実は私も少し気になっていた。メロスの側に立ちすぎたかな?
「真登香班長は厳しいなあ。メロスは、わかっていると思うよ。自分が弱い人間なんだって思い知ったんだから。でも、今はそれにこだわる訳にはいかないから、こうして自分を励ましているんだよ。ともかく、メロスは事実ダメな自分から立ち上がったんだ。そこを認めたい。」と若葉先輩が反論した。
「確かに、泉の水を飲むという偶然がなかったら、メロスは再び走り始めなかったのかもしれません。でも、偶然を生かせるかどうかもその人次第です。メロスにはそれができました。」とあたしもとっさに考えたことを言った。
「そうね、そう考えるべきね。人間は誰しも偶然の積み重ねの中で生きている。それが人間の大前提だものね。偶然だからダメという訳にはいかないわね。」と真登香班長が賛成してくれた。
 今のメロスは単に前のメロスに戻った訳じゃない。挫折を経験して、自分にとって何が大切なのかを再確認したメロスなんだ。

コメント

  1. すいわ より:

    川の氾濫を目の前にゼウスに哀願した時は「…友達が、私のために死ぬのです。」と言っていました。今回はゼウスに「正直な男のまま死なせて下さい」と言っています。生き死にの問題ではなく、正に信とする所を貫く本来のメロスに戻った。彼を立ち返らせた一口の命の水、「百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う」川の流れも元を辿れば同じ水、メロスを照り苛んだ日差し、これもこの輝きの中を行けとばかりに走る事を誘う、これも同じ太陽。弱いメロスもメロスなのだ、と。弱い自分も認める事で、放棄せず再び走り出せたのではないでしょうか。偶然と言えば、山賊は王の計算だけれど、そもそも天候の変化も不運な「偶然」でした。試練を乗り越えた者だけが手にする事のできる強さを持って、「走れ!メロス」

    • 山川 信一 より:

      私もメロスは弱い自分を認めたと思います。忘れてしまえるはずがありません。メロスは弱さを認めつつ立ち上がったのです。
      メロスが自分を誤魔化しているとい考えもありますが、賛同できません。

  2. すいわ より:

    弱い自分を誤魔化すのなら「信じられている。…私は、信頼に報いなければならぬ。」、その後にも続けざまに「私は信頼されている。私は信頼されている。」と繰り返し自分に言い聞かせるようなことはしないと思うのです。
    「希望」という言葉も三度出してきていて、パンドラの箱に残ったものも「希望」だったなぁと。この不確かなもの、のぞみを叶えるべく動くか、ただ、焦がれて夢見るだけで終わるかはその人次第。ほんの僅かに残った「希望」を糸口にメロスは走り出すことを選択したのですね。弱さを見て見ぬふりする人は走り出さずに終わるように思います。

    • 山川 信一 より:

      すいわさんの意見に賛成します。その人を評価するのは、どういう理屈を思いついたかじゃなくて、どう行動したかです。
      メロスは、自分の意志の力で立ち直ったのです。挫折を精神的には克服できなかったという評価は不適当です。

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