女のおやのおもひにて山てらに侍りけるを、ある人のとふらひつかはせりけれは、返事によめる よみ人しらす
あしひきのやまへにいまはすみそめのころものそてのひるときもなし (844)
あしひきの山辺に今はすみそめの衣の袖の干る時も無し
「女が親の喪に服して山寺に居りましたところ、ある人が弔問に人を寄こしたので、返事に詠んだ 詠み人知らず
山の辺りに今は住み始め、墨染めの衣の袖が乾く時もない。」
「あしひきの」は、「山」に掛かる枕詞。「すみぞめ」は、「住み初め」と「墨染め」の掛詞。
わざわざ都から遠く離れたこんな山奥にまで弔問していただきありがとうございます。私はこの山寺に住み始めたばかりで悲しみの涙が絶え間なく流れております。それは、墨染めの衣の袖が乾く暇もないほどです。悲しみは一向に癒えることがございません。あなた様の御厚意を嬉しく思いつつも、気の利いた歌の一つもお返しできない心持ちをお察しください。
作者は、今の自分を曝け出し相手に甘えることで相手への信頼感を伝えている。
弔問を受けた側の歌を載せる。前の歌とは、「すみぞめ」繋がりである。悲しみの底にあっても、弔問を受ければ、礼儀として返事はしなければならない。ただし、返歌の場合、悲しみの中、それほど凝った歌は作れないこともあろう。ならば、ありのままの今の自分を詠めばいい。その方がかえって今の自分の思いを正直に伝えることができる。これが一般的な弔問への返歌の心構えである。一方、この歌は前の歌への返歌としても読める。その場合、作者が伝えたいのは相手への「甘え」と「信頼感」である。編集者は、そんな一般・特殊を考慮して弔問への返歌の手本を示したのだろう。
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