《初雁の声さえも》

題しらす きのつらゆき

はつかりのなきこそわたれよのなかのひとのこころのあきしうけれは (804)

初雁のなきこそ渡れ世の中の人の心のあきし憂ければ

「題知らず 紀貫之
初雁が鳴き渡るように泣き続けているけれど・・・。恋仲の人の心の秋がつらいから。」

「初雁の」は、「鳴き」の枕詞。「なきこそ」の「なき」は、「鳴き」と「泣き」が掛かっている。「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし次の文に逆接で繋げる。「渡れ」は、動詞「渡る」の已然形。ここで切れる。「あきし」の「あき」は、「秋」と「飽き」が掛かっている。「し」副助詞で強意を表す。「(憂けれ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
初雁が鳴き渡る秋になりました。誰もが待ち望んだ初雁の声。それなのに、私には初雁の声さえも喜ばしいとは少しも感じられません。それどころか、初雁の声が心に突き刺さり毎日泣き暮らしています。なぜなら、恋仲にあるはずのあなたの心に秋(飽き)が来たことがつらくてならないからです。
この歌は、前の素性法師の歌に刺激されて作ったのだろうか。歌の発想が似ている。恋人に飽きられたつらさを言うのに、待ち望んだ初雁の声を素直に喜べないほどだと言うからである。ただし、この歌では、題材を視覚から聴覚へ転じている。また、「こそ」の係り結びを効果的に用いている。言いたいことが「こそ渡れ」の後に隠されているからである。編集者は、この巧みな表現を評価し、前の歌と同様の発想の、対照的な題材の歌として並べたのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    心待ちにしていた秋の訪れを告げる雁の初音。本来ならば嬉しい事のはずなのに、こちらも見事に自らの恋模様を思い、うち沈む様子が歌われています。
    貫之、素性法師の歌を読んで「これはいい!ならば私は『音』で詠もう!」と歌詠み魂に火を着けられたのでしょう。そして見事に詠んでしまう所が流石。才能のある人同士が集うと感性が研ぎ澄まされ、より高められて行くのですね。

    • 山川 信一 より:

      本当にその様子が想像されますね。『古今和歌集』は、和歌への情熱が躍動していますね。歌はこんな風に作るのだと言っているようです。千年以上も歌のお手本になったのが納得できます。

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