《意表を突く展開》

ほりかはのおほいまうちきみの四十賀、九条の家にてしける時によめる 在原業平朝臣

さくらはなちりかひくもれおいらくのこむといふなるみちまかふかに (349)

桜花散りかひ曇れ老いらくの来むと言ふなる道紛ふがに

「堀川の太政大臣の四十の賀を九条の家でした時に詠んだ 在原業平
桜花が散りさっと曇れ。老いが来ると言う道を老いが間違える程。」

「かひ曇れ」四段四段動詞「かひ曇る」の命令形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「来む」の「来」は、カ変動詞「来る」の未然形。「む」は、未確定の助動詞「む」の終止形。「(言ふ)なる」は、伝聞の助動詞「なり」の連体形。「紛ふがに」の「紛ふ」は、四段動詞の終止形。「がに」は、接続助詞で程度を表す。
(堀川の太政大臣が四十歳を迎えた。それを祝う宴が九条のお屋敷で開かれた。そこに招かれて詠んだ歌である。)天気は快晴、桜は満開です。このめでたい日に相応しい。天気も桜も大臣の長寿を祝福しているようです。しかし、桜花は一気に散ってこの空を曇らせて欲しい。皆さん、怪訝な顔をなさっていますね。それには、訳があるのです。老いがやって来るという道があると聞きます。だから、老いが道を間違えてやって来られないほどに、その道を花びらで覆い尽くして欲しいからなんですよ。
この時代、四十歳は初老であった。時代は下るが『徒然草』にも「長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」とある。四十歳は、十分老人と意識されていたようだ。業平は、歌がうまいということでこの宴に招待されたのだろう。この歌は、その期待に違わず凝ったものになっている。まず、上の句で「桜に散れ」「快晴の空に曇れ」と賀に相応しくないことを言う。これで読み手を驚かせる。次に、下の句でその理由を述べ、納得させてしまう。この展開が見事である。また、老いを擬人化し、老いは道をやって来る者であり、やりようによっては避けられるとしている。これなら贈られた大臣も嬉しいだろう。その場の情景を取り入れた賀に相応しい歌になっている。さすが業平である。ちなみに、ほぼ同じ内容が『伊勢物語』第九十七段に載っている。歌に物語性があるからだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    伊勢物語の時も「?」からの「!!」、言葉のマジックで宴の席に同席した方々の顔に笑みを咲かせた事、思い出しました。
    初老なんて名に惑わされて老け込むことは無いのですよ。それ、この華々しい桜が追ってくる「老い」の辿ってくる道を隠してくれるのだから。貴方は惑うことなく、更に先へと歩まれよ、、。四十の賀、「不惑」ですもの、ジタバタせず。

    • 山川 信一 より:

      この時は恐らく桜が満開だったのでしょう。それに加えて、想像の中で桜を散らせ、花びらで道を覆い隠します。まさに、桜に包まれた、この上なく華やかな世界。老いなど感じさせない、四十の賀に相応しい歌に仕上げましたね。

  2. まりりん より:

    「老い」を擬人化しているのですね。では、老いを追い払おうとしているのは「若さの神」でしょうか。若さの神が、春特有の強い風を起こして桜の花を吹き散らせる。花びらが老いが来る道を覆い隠し見えなくなって、ついでに老いも吹き飛ばしてしまう。
    桜が散ってしまうのは寂しいですが、桜吹雪とその後のピンクの絨毯は、それはそれで圧巻の美しさがありますよね。
    それにしても、四十歳で老人とは、、、ドキッとしてしまいます。

    • 山川 信一 より:

      季節を連れてくる神である佐保姫も竜田姫も道を通ってやって来て帰っていきます。ならば、人生の季節である老いや若さを連れてくる神もそうかも知れませんね。
      四十の賀は、当時でも早すぎますよね。宴会をする口実だったんじゃないでしょうか。酒を飲んで大騒ぎする機会は多い方がいいから。

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