題しらす つらゆき
しのふれとこひしきときはあしひきのやまよりつきのいててこそくれ (633)
忍ぶれど恋しき時はあしびきの山より月の出でてこそくれ
「題知らず 貫之
忍んでも恋しい時は山から月が出て来るけれど・・・。」
「(忍ぶれ)ど」は、接続助詞で逆接を表す。「あしびきの山より月の」は、「出でて」を導く序詞。「あしびきの」は、山に掛かる枕詞。「(出でて)こそくれ」の「こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にし以下の文に逆接で繋げる。「くれ」は、カ変動詞「来」の已然形。そして、「暮れる」と「暗る・眩る」が掛かっている。
あなたに逢いたくてなりません。でも、それがかなわないので、ひたすら堪えています。しかし、堪えても堪えきれず恋しい時は、山裾を長く引く山から月が出て来ても、ただ日が暮れるだけで、どうしていいのかわからず、目の前が真っ暗になるばかりです。
「月の出でてこそくれ」というシンプルな表現に思いを込めている。「あしびきの」は、断ち切れず、いつまでも引きずる作者の未練を暗示している。多くを言わず、読み手の想像力を掻きたてるように表現している。その反面、読み手の読解力が試されている。
普通、掛詞は二つの意味が掛けられているけれど「くれ」には、三つの意味が掛けられている。「こそ・・・已然形」の係り結びによって、その意味を引き出している。つまり、さりげなく見せて、その実、極めて技巧的な歌なのである。編集者はこの挑戦的・実験的な表現を評価したのだろう。
コメント
逢いたいのに叶わず、どうする事も出来ずにただ月を見ていた。雲の無い夜の月の光は妖しく、魔力でも宿っているような錯覚を覚えることがありますね。作者は、月を眺めながら何を思っていたでしょう。
当然、恋人に逢えないつらさを思ったのでしょう。そんな時、月はどれほど無情に思えたことでしょう。
あなたへの恋心をどんなに隠そうとしても、あの山の端から登って来る輝く月を押し戻せないのと同じように、私の心が露わになってしまう事を止めようもありません。今まさに夕暮れが迫り逢瀬の時ともなれば、私は居ても立ってもいられない。こんな思いを引きずりながら夜を過ごせようものか、、(今、会いに行きます)。
さらりと詠まれていますが、そのシンプルさが情景をクリアに印象付けます。読み手は月を見上げに縁まで出て来てしまいそうです。
これは、「(今、会いに行きます)」という思いの表明でしょうか。それなら、悩みは解決してしまいます。そうではなくて、「こんな思いを引きずりながら夜を過ご」すしかない辛さを訴えているのでしょう。恋人の共感を得るように。そう、恋人が「月を見上げに縁まで出て来てしま」うように。逢うばかりが恋ではありません。辛さに耐えるのも恋のうちです。
(今会いに行けたら良いのに)と書いたつもりでいました。そうですね、その方が思いに深さを感じさせます。
迅る思いとは裏腹に暮れて見通せない恋路、月に照らされた山のシルエットは豊かな髪のあなたの後ろ姿のようで、、と想像が膨らんで駆け出して(今、会いに行きます)と書いてしまったようです。
わかりました。逢いたい気持ちは言うまでもないのですが、「今、逢いに行きます」とは言えない辛さを読んだのでしょうね。