昔、男、伊勢の斎宮に、内の御使にてまゐれりければ、かの宮に、すきごといひける女、わたくしごとにて、
ちはやぶる神のいがきもこえぬべし大宮人の見まくほしさに
男、
恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに
男が伊勢の斎宮(神殿のこと)に、朝廷からのお使いとして参ったところ、その御所に、色っぽい話をよくしていた女が、個人的な話として、
〈神聖な神殿の垣根も越えてしまいそうだ。宮中に仕える人にお逢いしたいために。(「ちはやぶる」は、「神」に掛かる枕詞。「いがき」は神域と俗界を隔てる垣根。「まくほし」は、〈・・・たい。〉)〉
男は、
〈私が恋しいのなら神のいがきを越えて逢いにいらっしゃるよ。恋の道は神が戒める道ではないのですから。(「恋しくは」は仮定条件。「見よかし」の「かし」は念押しの終助詞。「道ならくに」は、倒置で、〈道ではないのですから〉の意。)〉
ここでの「斎宮」は、神殿のことで、神宮に仕える未婚の女性のことではない。この女は、そこに仕える女官の一人で、第六十九段、第七十段の相手とは別人である。同時進行であったとも考えられる。男が都の人(「大宮人」)なので、興味を惹かれた女が仕事を離れて、恋を仕掛けてきたのだ。何ともモテる男である。
ここは神聖な領域だけれど、別に恋を禁じているわけではないのだと言うのである。なるほど、『古事記』を読めば、神代の時代から神はむしろ恋と共にあった。恋こそ神聖な営みだと言うこともできる。
来る者は拒まずといったところか。何と恋に貪欲な男であるか。これが斎宮との恋と同時進行であるなら、ただただ驚くしかない。
コメント
話の流れは全く違いますが、三島由紀夫の「潮騒」も伊勢湾の島での話だったなぁと、あの名場面を思い出しました。
この段のやり取りは至って軽いもの、アイドルにキャーキャー言っている女の子に「君、可愛いねぇ。さぁ、私と恋してみる?」といったニュアンスでしょうか。斎宮との恋と同時進行だと、何だろうなぁと思うところですが、六十九段の前話として、このやり取りがあったのなら、稀代のモテ男、禁忌を越えた恋に血の涙を流す話により一層、厚みが増すように思いました。
そうですね、どんな場合も相手の事情を大事にするというのがこの男の流儀なのでしょう。
話が前後しますが、事実としてはこっちの方が先とするなら、すいわさんの解釈で納得できます。
ただ、次の段の話とも合わせると、同時進行であったようなのです。
先生、こんばんは。
神宮に仕える女官がこんな大胆な発言をするのだなあと
驚きました。こんなこと言うんですねえ。
女官である前に女なのですね。
前段の悲劇的なお話はいったい何だったのでしょうか。。。
今、唖然としています。。。
私もついて行けません。でも、それは固定観念に囚われているからでしょう。
頭を切り替えていかなくてはなりませんね。引き続き物語を素直な心で読んでいきましょう。