《恋の条件》

題しらす 読人しらす

おもひいつるときはのやまのいはつつしいはねはこそあれこひしきものを (495)

思ひ出づる常磐の山の岩躑躅言はねばこそあれ恋ひしきものを

「言わないのでこうしているが、何とも恋しいことだなあ。」

「思ひ出づる常磐の山の岩躑躅」は、「岩」と同音の「言は(ねば)」を導く序詞。「こそあれ」の「こそ」は係助詞、「あれ」は補助動詞「あり」の已然形で「こそ」の結びになる。ここは「こそかくあれ」の意で、以下に逆接で繋がる。「ものを」は、詠嘆の終助詞。
以前あなたと見た常磐の山の岩に咲く躑躅を思い出しています。その「岩」ではありませんが、あなたとのことを決して人に言わないので、こうして人に知られずにいられます。けれども、あなたが恋しくて恋しくてなりません。苦しいほどです。もう一度人目を忍んでお目にかかりたいものです。
恋は自然や四季と共にある。恋の歌の題材は植物へと移っていく。「常磐の山の岩躑躅」を出したのは、「岩」から「言はねば」を導くためである。ただし、同時に、かつて恋人とそれを眺めたことがあったのだろう。だから、序詞に使った。躑躅は二人にとって思い出の特別な花なのである。それを出すことで、相手の心を揺さぶっている。「常磐」「岩」が恋の不変を、「躑躅」が恋の喜びを暗示している。こうして、舞台を整えた上で、自分の今の気持ちを伝えている。
作者は自分が恋をしているのを秘密にしていると相手に伝える。自分がこの恋をいかに大切にしているかを伝えるためである。その一方で、それによる恋しさを訴え、わかって貰おうとしている。ただ、現代人には、恋が秘め事であり、それを口にそれば、壊れてしまうという認識がこれほどには無い。そのため今一つ共感しにくい。そこで、現代なら、不倫をイメージすればいいのか。確かに、不倫は口にすることが許されない。それゆえ燃え上がる。すると、昔も今も表立っては口にできないことが恋の条件になる。ならば、許されないという外的条件ではなく、許されても口にしないという条件を自ら課せばいい。秘めることで、恋は恋になる。「秘すれば恋なり」である。平安人は現代人以上にこのことをしっかり認識していた。

コメント

  1. すいわ より:

    「思ひ出づる常磐の山の岩躑躅」は歌の序詞だけれど、歌を交わし合う二人にとっては共有する「秘密の思い出」なのですね。二人だけに通用する暗号を歌に潜ませる所がまた何とも。実景だったのかもしれませんが「岩躑躅」、過酷な場所に可憐に咲く様子が恋する二人の置かれる状況を語っているようにも思えました。

    • 山川 信一 より:

      「岩躑躅」には、二人の置かれている厳しい状況が暗示しているようにも思えますね。ただ、「厳しい状況」には、選択の余地のない外的なものと、自ら創り上げた「秘密」という内的なものがあるように思えます。秘密は恋を恋にするもののようです。昔、アグネス・チャンは、『ポケットいっぱいの秘密』でこう歌いました。「ひみつ/ないしょにしてね 指きりしましょ/誰にも いわないでね/ひみつ/ちいちゃな胸の ポケットのなか/こぼれちゃいそうなの」ちあきなおみは、『四つのお願い』でこう歌いました。「たとえば私が 恋を 恋をするなら/四つのお願い 聞いて 聞いてほしいの/一つ やさしく 愛して/二つ わがまま 言わせて/三つ さみしく させないで/四つ 誰にも 秘密にしてネ」

  2. まりりん より:

    なるほど、当時は「恋は秘め事」が前提だったのですね。口にする様なことではなかったし、人に知られることになったらこの恋は壊れてしまう。だから必死で隠したのでしょう。
    逆に、今の若い人は隠すことを嫌う傾向にある気がします。(不倫は別ですが。)こそこそ隠していると、悪いことをしているようで嫌なのだそうです。

    • 山川 信一 より:

      「今の若い人は隠すことを嫌う傾向にある」のですね。その理由は「こそこそ隠していると、悪いことをしているようで嫌」だからだと。もしそうだどすると、自ら恋の魅力を損なっていることになります。そして、それが不倫を魅力的なものにしていることになりそうです。なぜなら、秘すればこその恋なのですから。それが不倫が無くならない理由になっているのかも知れません。

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