《ただ一度の恋》

題しらす よみ人しらす

あなこひしいまもみてしかやまかつのかきほにさけるやまとなてしこ (695)

あな恋ひし今も見てしが山がつの垣穂に咲ける大和撫子

「題知らず 詠み人知らず
ああ恋しい。今も見たいものだ。樵の家の垣の上に咲いているナデシコの花を。」

「(見)てしが」は、終助詞で願望を表す。「垣穂」は「垣根」の対。「(咲け)る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「なでしこ」は、植物名に「撫でし子」を掛けている。
ああ恋しいことだなあ。今も、奈良を散策の折に偶然出逢い、撫でたお前に逢いたくてならない。そう言えば、樵の家の垣の上にナデシコの花が咲いていた。あのナデシコのように可愛い娘よ。
奈良を散策の折に偶然出逢った身分の低い女が忘れられず、一度きりの逢瀬と思いつつも、贈った歌であろう。
前の歌は、遠く離れた地に住む女からの歌であった。この歌は、旧都奈良で偶然契りを結んだ卑しい身分の女に贈った男の歌である。男は、その逢瀬が忘れられないのだろう。できればもう一度逢いたいと願う。しかし、恋とは一度きりのもの。同じ思いをしたくてもかなわぬもの。あたかも、ナデシコの花がいつまでも咲いていないように。この歌は、そんな恋の一面を捉えている。植物名の「大和撫子」は、女のかわいらしさや女の住む場所(大和)や作者の行為(「撫でし」)も暗示している。編集者はこうした内容と表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    冒頭から「あなこひし」。でも、ずっと思い続けていた、というわけでもなさそう。遠乗りに出た旧都で出会った素朴な乙女。賎の屋にあれば尚のこと可憐さが匂い立つ。仮初の恋。
    束の間の午睡。夢から目覚めたひとことが「あなこひし」なら、きっとその出会いは良い思い出として一生抱き続けるのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      仮初めと言えど、恋は恋。いな、仮初めであるからかえって恋は一層恋らしくなる。美化され忘れられないものになる。こんな恋もありますね。
      「あなこひし」を「夢から目覚めたひとこと」と捉えた点が素晴らしい。

  2. まりりん より:

    偶然に出会ってたった一度だけの逢瀬だったとしても、何のしがらみも謀もなく過ごした相手で、心から安堵した逢瀬だったのではないかと想像します。仮初の恋だった筈なのに、いつしか本気になっていることだってありますよね。

    • 山川 信一 より:

      「仮初の恋だった筈なのに、いつしか本気になっている」そんな恋を詠んだのでしょう。恋はいつ現れるかわかりませんね。人の心は予想が付きません。この歌は、身分違いの恋でしょうが、思いが素直に表されていて、感じがいいですね。

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