かみやかは つらゆき
うはたまのわかくろかみやかはるらむかかみのかけにふれるしらゆき (460)
うばたまの我が黒髪や変はるらむ鏡の影に降れる白雪
「私の黒髪が変わっているのだろうか。鏡に映る姿に降っている白雪。」
「うばたまの」は、「黒髪」に掛かる枕詞。「(黒髪)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして文末を連体形にする。「(変はる)らむ」は、現在推量の助動詞の連体形。ここで切れる。「(降れ)る」は、存続の助動詞「り」の連体形。
「かみやがは」は、「紙屋川」と言うけれど、もしかしたら、その「かみ」は、「髪」ではないか。髪と言えば、鏡に映した私の黒髪が今日は変わっているのだろうか。白いものが混じって見える。あたかも紙屋川に白雪が降るかのようだ。ついに、白髪が交じってきたのだろうか。
「かみやかは」は、京都市を流れる紙屋川である。作者は、その「紙」を「髪」に転じて、物名を作った。「黒髪」に対して「白雪」という比喩を使って白髪を暗示している。「白雪」としたのは、背景に紙屋川に雪が降っている情景を暗示するためだろう。ただし、黒髪が変わったことに疑問を持っているので、実際は、鏡の表面に付いた埃だったのかも知れない。そんな含みを持たせている。
コメント
潜ませた物名「紙屋川」、紙は白いものなのに、雪空を映したその流れは千すじの黒髪のよう。反転している。降る雪の白を黒い川が飲み込み流れて行く。
そして鏡に映る我が姿。黒いはずの髪にちらほらと、、いや、気のせいか?さて、どちらが本当だろう。反転した鏡の世界と川の名、上手く対照していますね。
「紙」と「髪」、「雪」と「川」が白と黒で対照的になっているようですね。ただ、川の情景と黒髪との関連はどこまで意識していたのかは、よくわかりません。「かみやかは」をどれだけ巧みに隠すかが主眼であったようにも思えます。
「黒」と「白」の対比が印象的です。
鏡を見て、髪に白髪が混じったな、と、年々増えていくな、と、まさに日々実感しているところです。作者は、ため息をつきながらこの歌を詠んだかも知れませんね。
鏡を見て、白髪が増えたことに気づくのは年齢の行った者なら大抵の者が経験します。それ自体は「あるある」です。だから、それをいかに和歌らしく優雅に、そして、どう物名として歌うかが腕の見せ所です。この歌は、その点さすがによくできていますね。