《旅の心細さ》

あつまへまかりける時みちにてよめる つらゆき

いとによるものならなくにわかれちのこころほそくもおもほゆるかな (415)

糸に縒る物ならなくに別れ路の心細くも思ほゆるかな

「関東へ下った時旅の途中で詠んだ 貫之
糸に縒るものではないのに別れ道が心細くも思われることだなあ。」

「糸」「縒る」「細く」は縁語。「ならなくに」の「なら」は、断定の助動詞「なり」の未然形。「なくに」は、接続助詞で逆接を表す。「も」は、係助詞で表現を和らげている。「(思ほゆる)かな」は、詠嘆の終助詞。
関東への旅の途次、ふと心に浮かんだことを詠んだ。
道というものは、糸に縒るものではないのに、まるで糸みたいに、人に別れて一人行く道が段々細くなっていくような気がして、心細くも思われることことだなあ。
当時、京都の貴族にとって関東は未開の地であった。作者は、心ならずもそこに向かうことになった。その心細さを詠んだ。その不安感や寂しさから実際に道が段々と細くなっていくようにも感じられた。そこで、細いものの代表として糸を連想したのである。糸は、現実の道そのものの細さと、作者の心細さの両方を暗示ている。
この歌は、当時の貴族の関東への旅の不安感や寂しさを詠んだものである。

コメント

  1. すいわ より:

    長くて遠い関東への旅路、京を出た時の道連れも目的地毎に一人、また一人と少なくなっていったのでしょうか。それはまるで縒ってあった糸がほどけて、か細く心許なくなって行く様子のようで。そもそも行き先が未開の地と思っている場所でなければ、道を糸に例えることもないのでしょう。詠み手の不安感がそこからも伝わってきます。
    この歌、どこかで聞いたことがあると思ったら、徒然草に取り上げられていましたね。

    • 山川 信一 より:

      この場合、糸がほぐれるのではなく、縒るイメージで作られています。段々細くなる感じです。様々な事情が絞り込まれ、一人になっていく感じです。
      『徒然草』の第14段に出て来ましたね。兼好は褒めていましたが、当時この歌の評価は低かったようですね。「歌の屑」と言われていたとか。糸のたとえが陳腐に感じられたのでしょうか。でも、『古今和歌集』の歌は普遍的感情を詠むのが目的ですから、これも仕方がないのでは。普遍とは、反面ありきたりですから。

  2. まりりん より:

    糸の細さと、道の細さと、心細さが重なりますね。道が段々細くなって遂に途切れてしまうように、不安で心が折れてしまいそうな道中だったでしょうか。
    知らない土地への旅に限らず、新しい職場だったり学校だったり、違う環境に飛び込むことは、期待もある一方で不安が勝りますね。ましてや、意に沿わないことであれば尚更ですね。

    • 山川 信一 より:

      もしかすると、生きることそのものを象徴しているのかも知れませんね。なぜなら、人生というのは未知に向かって一人で旅することですから。

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