《言葉の贈り物》

あひしりて侍りける人のあつまの方へまかりけるをおくるとてよめる ふかやふ

くもゐにもかよふこころのおくれねはわかるとひとにみゆはかりなり (378)

雲ゐにも通ふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり

「親しくしていました人が東国の方へ下るのを送るということで詠んだ  深養父
雲の彼方にも通う心が贈れないので、別れると人に見えるだけである。」

「侍り」は、補助動詞で丁寧の意を添える。「おくれねば」の「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「ばかり」は、断定の助動詞「なり」の終止形。
作者には、親しくしている、でも、丁寧語を使うくらいの関係の友人がいる。その人が東国に下ることになる。そこで歌を贈る。
あなたはこれから雲の彼方と言えるほど遠い東国に行かれます。でも、私は雲の彼方にも通うほどあなたを強く思う心を持っています。なのに、それを贈ることができないので、このまま別れるとあなたには見えるだけなのです。お別れしても、私はあなたのことをずっと思っています。
作者は何とかして、友人に自分の心を伝えようとする。しかし、心には形が無い。物のようには贈ることができない。ところが、「贈れない」と歌にすることで形の無い心に形を与え、相手を思う心を贈っている。歌は、形のない心に言葉で形を与え、それを贈り物にすることができるのだ。

 

コメント

  1. まりりん より:

    あなたは、雲の彼方のように遠いところに行ってしまう。離れるのは辛く寂しく、道中の無事も気掛かりです。私は雲の彼方まで届きそうな位強くあなたのことを思っていますが、心は目に見えない。だから傍目にはお別れしたように見えるでしょう。でも、私の心はあなたから離れません、いつも側で見守っています。

    言葉の贈り物。素敵です。
    言葉は、使い方次第で慰めにも刃にもなる。凄いですね。

    • 山川 信一 より:

      詞書の「送る」と歌の「贈る」は、元々同じ意味を表す言葉ですが、その微妙な違いを踏まえて作った歌ですね。あなたを見送ることはできても、心は贈れないと言いまず。それでいて、歌にすることで贈っているのです。

  2. すいわ より:

    相手を思う気持ちは深いけれど、立場の違いがあるのでしょうか、とても丁寧な言葉遣いが普通のいわゆる友人という関係ではなさそうな印象を与えます。送る相手が格は上だけれど年若いとか。年長者として別れに臨んで取り乱したり、大袈裟に嘆いたりしないけれど、内心では離れ難く思っている。そんな気持ちを抱きながら、旅立ちの日に見送りに出られなかったのかもしれません。それで後から歌を贈ったのではと思えてきました。別れに際して冷淡に見えるかもしれない、心は見えないから。でも、言葉という器、触れることは出来ないけれど、なればこそ立場も空間も越えてこの歌に私の気持ちを託して君に贈ろう、と。友情という愛ですね。

    • 山川 信一 より:

      詞書の「あひしりて侍りける人」という表現によって、二人の関係を示しています。「おくるとて」とあることから、旅立ちの日に贈ったのかも知れませんね。その人は既に「雲ゐ」のように遠くにいるようのも思えてきます。詞書はゆるがせに出来ませんね。いずれにせよ、このような二人の関係・状況の中で、見えない心に言葉で形が与えられ、この歌は作らました。

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