第二十五段 実例

京極殿・法成寺など見るこそ、志留まり事変じにけるさまは、あはれなれ、御堂殿の造り磨かせ給ひて、庄園おほく寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門・金堂など、近くまで有りしかど、正和の比、南門は焼けぬ。金堂はその後倒れ伏したるままにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、そのかたとて残りたる。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、いまだ侍るめり。是も又、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。されば、よろづに見ざらん世までを思ひおきてんこそ、はかなかるべけれ。

京極殿:(きょうごくどの)藤原道長の屋敷。
法成寺:(ほうじょうじ)道長が建てた寺。
御堂殿:(みどうどの)道長の敬称。
おぼしてんや:「て」は完了の助動詞「つ」の未然形。「ん」は推量の助動詞「む」。
正和:(しょうわ)花園天皇の年号。(1312~1317)
無量寿院:法成寺の阿弥陀堂。

「京極殿・法成寺などを見るにつけ、道長殿の志が達成されず実情が変わってしまった様子は、しみじみと感慨深いが、道長殿がきらびやかに造らせなさって、荘園を沢山寄贈なさり、自分の一族だけが天皇の御後見役、天下の固め(=摂政関白)であって、遠い将来まで繁栄するとお考え置きなさった時、どのようになるであろう世にも、これほど廃頽しようとはお思いになっただろうか。大門・金堂など、近頃まであったけれど、正和の頃、南門は焼けてしまった。金堂はその後倒れ伏したままであって、建て直すこともしない。無量寿院だけがその形見として残っている。一丈六尺の阿弥陀仏が九体、大層尊く並んでいらっしゃる。藤原行成大納言が書いた額、源兼行が書いた扉がはっきりと見えるのがしみじみと感慨深い。法華堂なども、まだございますようだ。これもまた、いつまであるだろうか。これほどの跡形もない寺社・屋敷は、自然に基礎ぐらいは残るのもあるけれど、その由来をはっきり知っている人もいない。だから、何事につけて見ることのない先の世までも思い定めることこそ、期待通りに行かず頼りにならないことに違いない。」

人の世のはかなさを具体例を挙げて証明する。あの栄華を誇った道長が造らせた建物さえ、この有様なのだ。まして、他は推して知るべしであると言うのだ。説得力のある記述である。反論のしようがない。それとも、そういうことを選んで書いているのか。
ちなみに、無量寿院も1331年に消失した。と言うことは、『徒然草』がそれ以前に書かれたことがわかる。

コメント

  1. すいわ より:

    その前に書かれていたことが曖昧に匂わせていたのに対して、今回は極めて具体的に書いていますね。そのせいか、より、説得力が増しているように思います。今世の栄華を来世までと執着する事の例示が必要以上に丁寧な口調で書かれていて、表向きにはやんわりと、その実、辛辣に批判をしているのですよね。上手い書き方ですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好法師がここで言っていることは、間違いありません。もっともなことです。でも、普段は目を逸らしていることです。こう書かれると、反発反論ができませんね。
      では、人はいかに生きたらいいのでしょうか?しかし、そこまでの言及はしていません。兼好法師は、反発反論が予想されることは避けています。

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