《女の餞》

きのむねさたかあつまへまかりける時に、人の家にやとりて暁いてたつとてまかり申ししけれは、女のよみていたせりける よみ人しらす (377)

えそしらぬいまこころみよいのちあらはわれやわするるひとやとはぬと

えぞ知らぬ今試みよ命あらば我や忘るる人や訪はぬと

「紀宗貞が東国に下った時に、人の家に宿をとって明け方出発するといとまごいを言ったので、女が詠んでささげた 詠み人知らず
知ることができない。今試みなさい。命があるなら、私が忘れるのか、人が訪ねないのかと。」

「えぞ知らぬ」の「え」は、副詞で打消を伴って全体で「できない」の意を表す。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「(命あら)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「試みよ」は、上一段活用の動詞「試みる」の命令形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「(我)や」と「(人)や」の「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「忘るる」は、下二段活用の動詞「忘る」の連体形。「(問は)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
紀宗貞が東国に下った時、方違えで人の家に宿をとって出発した。その明け方に主人にいとまごいをした際に、その家の女が詠んで捧げた歌である。
私にはどうにもわかりません、いつ死んでしまうかわからないのです。。だから、もし私の命があるのなら、その間にすぐに試みてください。私があなたを忘れるのか、あなたが私をもう二度と訪ねて来ないのかを。そのためには、どうぞ一刻も早く無事に東国から京都にお戻りください。お帰りをお待ち申し上げます。
女は宗貞と一晩の契りを結んだのだろう。それが忘れられないから、もう一度お逢いしたいので、無事帰って来てくださいと言っている。紀氏であるから政治的に冷遇され、東国への赴任しなければならくなった。それを慰める女の男への餞の歌である。

コメント

  1. すいわ より:

    東国への途中の宿なのでしょう。まだ日も出ない暗いうちに男は旅立つと言う。黙って行かないあたり、誠実さを感じさせます。契りを交わした女は明らかに心乱れていますね。いつ、お帰りになられますか?一夜の宿と同じ、仮初の関係だったのでしょうか?私の命がいつ消えてしまうかなんて分かりはしない、今ここでお帰りの約束が欲しい。貴方がまたここへ来るのか、私が貴方を忘れるのか、、
    「われやわするるひとやとはぬと」と詠みつつ気持ちは「忘れるはずがない、訪れないはずがない」。「きみ」と言えないあたりが切ない。女は帰らない事を予感しているのではと思いました。

    • 山川 信一 より:

      切ない女心を読み取っていますね。作者の心に寄り添っていることがわかりました。「ひと」と言い「きみ」と言えない間柄は、切ないですね。「えぞ知らぬ」から始まって、畳みかけるような言葉遣いから、女の差し迫った心が伝わって来ますね。女はこの歌によって別れのドラマを作り上げています。男は、この女のために無事帰ってきたいと思うことでしょう。

  2. まりりん より:

    この歌、難しくてよく分かりません。。
    旅の途中に偶然泊まった家なのですよね? 一晩の契り?主人が在宅している家で!?
    しかも、このように歌に詠んだらバレてしまうではありませんか。。
    と、思ってしまう私は野暮かも知れません。
    まあ、それはそれとして、、二度と会えないかも知れない人を見送るには、切ないですよね。

    • 山川 信一 より:

      確かに事情を想像するのが難しいですね。この女は一体誰なのでしょう?恐らく主人が東国へ旅立つものへの慰めとして、差し向けた女でしょう。娘かも知れないし、使用人かも知れません。あるいは、妻ではないでしょう。こういうことって、結構最近まであったみたいですよ。たとえば、『この世界の片隅に』にもありました。性モラルは考えようですからね。とは言え、一度の契りでも軽々しい行為ではありません。女は、二度と会えないかも知れないと、切ない思いになったことでしょう。

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