《別れの挨拶》

古今集 巻八:離別 題しらす 在原行平朝臣

たちわかれいなはのやまのみねにおふるまつとしきかはいまかへりこむ (365)

立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む

「題しらす 在原行平朝臣
別れて行く因幡の山の峰に生えている松ではないが、あなたが待つと聞くなら直ぐに帰ってこよう。」

「いなば」は、「往なば」と「因幡」掛かっている。「まつ」は、「松」と「待つ」が掛かっている。「(まつと)し」は、強意の副助詞。「(聞か)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(来)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
これから皆様とお別れし因幡の国に往ってしまうならば、その因幡の山の峰に生えている松ではありませんが、あなたが私を持っていると聞いたならば、直ぐに戻って参ります。
在原行平は、業平の兄で、八五五年に因幡の守に任ぜられた。この歌は、京を出発する際名残を惜しんでくれた人々への別れの挨拶である。一応、「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつ」までが事情の説明、「まつとし聞かば今帰り来む」からが心情の吐露になっている。しかし、「立ち別れいなばの山」という表現に既に別れの辛さが表れている。「立ち別れ行く」と言いつつ、「往なば」と行くことを仮定で述べているからである。「聞かば」の仮定と合わせると、未練たっぷりであることがわかる。親しい人と別れ、京から離れた地方に赴任する悲しみがよく表れている。できることなら、直ぐに帰って来たいのである。「いなば」と「まつ」が掛詞になっていて、修辞が凝っているとも少しくどいとも感じられる。赴任への気の重さを暗示しているようでもある。

コメント

  1. まりりん より:

    気のすすまない転勤の辞令も従わなくてはならず、鬱々としてしまう気持ち、よく分かります。現代も同じですものね。当時は、京都から因幡まで辿り着くのに何日かかったのでしょうか? 長旅の末に新天地に赴く憂鬱と、親しい人と別れる悲しみ。この時は、因幡に行けば行ったで住めば都、良い人に巡り合ったり楽しいこともあるかも知れない、という前向きな考えには至らなかったのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      今も昔も都に住んでいたいのは、変わりません。しかし、地方転勤があります。そこが宮仕えの辛いところ。この仰々しい別れの挨拶は、その気持ちをよく表していますね。

  2. すいわ より:

    百人一首で馴染み深い歌ですが、改めて向き合うと、これから因幡へ向かうのですよね。こんなにも行きたくない。行く前から帰ることを考えている。当時は都から離れた地方へと行ってしまったら、そう簡単には戻れなかったのでしょう。「まつとしきかは」、ずっと変わらない松、ずっと私を忘れずに思ってください、その思いが私をここへ引き戻してくれるから、とでも言いたいようです。
    白兎は帰るために大変なことになっていたなぁと歌とは全く違うものも思い出してしまいました。

    • 山川 信一 より:

      この常緑の「松」には、ずっと変わることなく私を待っていてくださいという意味が込められているのですね。なるほど、芸が細かいですね。
      白兎は不思議な連想ですね。そう言えば、貫之も晩年に土佐の守になりましたね。やはり行きたくなかったのでしょうね。きっとその時、この歌を思い出したのではないでしょうか?

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