《無理と本音》

これさたのみこの家の歌合のうた よみ人しらす

いろかはるあきのきくをはひととせにふたたひにほふはなとこそみれ (278)

色変はる秋の菊をば一年に再び匂ふ花とこそ見れ

「是貞の親王の歌合の歌  詠み人知らず
色が変わる秋の菊を一年に再び色付く花と見ているけれど・・・。」

「菊をば」の「ば」は、係助詞「は」の濁ったもので、「菊」を取り立てて強調している。「花とこそ」の「こそ」は、係助詞で強調を表し、文末を已然形にし、次に逆接で繋げる。
秋が深まると、白菊の花は次第に紅色を帯びてくる。人々はそれを一年に再び色付く花と見るけれど、私はやはり白色が恋しくあるなあ。
当時の人々は、白菊が朽ちて色が紅色に変わるのを、再び色付くとして、それはそれで美しいと賞翫した。そこに当時の人々の豊かで柔軟な感性が伺える。しかし、作者はそこに多少の無理を感じている。本当の気持ちを偽って、こじつけているように思えるのだ。自分なら素直に、白色が恋しいと嘆くところなのにと言いたいのである。肝心な思いを表さず、言外に匂わせている。

コメント

  1. すいわ より:

    「一般的には」「常識的には」に縛られやすいのは今も昔も変わらないのですね。そんな中、「それでも私は」の主張の仕方が秀逸。「色変わる」「再び」と文字にすることで、かえって元々のものを意識させます。「一般」も「常識」も時間経過の中で作られ、必ずしも絶対的ではない。良いも悪いも縁取られた枠の外側まで見回して、自分の考えを持ちたいと思いました。

    • 山川 信一 より:

      常識には、そうなるだけの理由があります。そこには、無視することができない確かさがあります。だから、非常識は避けたい。けれど、それに囚われて、その枠の中だけで思考し行動するのも考えものですね。それでは、自分が生きていることになりません。常識を参考にしつつ、独自性を発見したいですね。

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