《菊に託す思い》

仁和寺にきくのはなめしける時にうたそへてたてまつれとおほせられけれは、よみてたてまつりける 平さたふん

あきをおきてときこそありけれきくのはなうつろふからにいろのまされは (279)

秋を置きて時こそ有りけれ菊の花うつろふからに色の勝れば

「仁和寺に菊の花を持ってこさせる時に歌を添えて献上せよとお命じになったので、詠んで献上した 平貞文
秋を別として菊の花の盛りの時がまたあったことだなあ。菊の花は末になっていくと共に色が勝るので。」

「時こそ」の「こそ」は、係助詞で強調を表し、係り結びとして働き、文末を已然形にする。ここで切れつつも、次の文に逆接で繋げる。以下は、倒置になっている。「からに」は、接続助詞で、後に述べることが直ちに始まる意を表す。「色の勝れば」の「ば」は接続助詞で、原因理由を表す。
秋に菊が美しいのは当然だ。しかし、秋は別にして、菊の花には盛りの時期がまたある。菊の花は、時季が過ぎても、紅色に色付いて、また美しくなるからだ。しかし、こうしたことがあるのは、菊ばかりではない。それと同様に、法皇様も御譲位後に再び栄えていらっしゃるからだ。
仁和寺には宇多天皇の御室があった。法皇がそこに菊の花と歌を召されたので、菊に託して、御譲位後も栄えている法皇を祝う気持ちを表した。菊は、秋の盛りが終わっても、再び色付き美しく咲き続ける。しかし、それは菊だけのことではない。法皇様がそれであると言うのである。

コメント

  1. すいわ より:

    「うつろふからに色の勝れば」時を経てより一層その存在価値を知らしめる、と菊に添えるのですね。香りでなく色な所が表立っての影響力を感じさせます。意図しての事ではないでしょうけれど、字余り字余りな所が「余りある」、あふれる威光を表現しているようにも。

    • 山川 信一 より:

      「秋を置きて時こそありけれ」は、「あき」のイ音と「を」の母音の重なり、「こそ」のオ音と「あ」の母音の重なりで許されるのでしょう。しかし、ご指摘のように、法皇の「あふれる威光」を感じさせる効果がありますね。

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