寛平御時きくの花をよませたまうける としゆきの朝臣
ひさかたのくものうへにてみるきくはあまつほしとそあやまたれける (269)
/この歌は、また殿上ゆるされさりける時にめしあけられてつかうまつれるとなむ
久方の雲の上にて見る菊は天つ星とぞ誤たれける
「宇多天皇の御代、菊の花をお詠ませになった 敏行の朝臣
宮中で見る菊は天の星かと見誤られることだ。」
「ひさかたの」は「雲」に掛かる枕詞。「天つ星とぞ」の「つ」は、格助詞で連体修飾語を作る。「の」の意。「ぞ」は、係助詞で強調。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「誤たれける」の「れ」は、自発の助動詞「る」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
雲の上にあるような畏れ多い宮中に招かれて、菊の歌を詠むことを許された。宮中で見る白菊は格別で、とても身近にある菊と同じものとは思えない。ここは雲の上であるので、天の星と見紛うばかりの美しさである。
この歌は作者がまだ地下の人であった時に、殿上に招かれて詠んだことになっている。その感激を星のたとえによって表している。「殿上=天上=雲の上」から「白菊=星」という連想が生まれたのだろう。星にたとえられることで白菊とわかる。なるほど、宮中の白菊は、星にたとえたくなるほど美しかったに違いない。しかし、実際に星に似ていると言うよりは、そうたとえることで、この場で歌を詠む感激の程を表している。『古今和歌集』の和歌は、叙景詩ではない。叙情詩である。叙景は叙情のためにある。
コメント
御殿から見た白菊があちらこちらに咲く様が星のようだ、と。
星は見上げるものだけれど、御殿から菊を眺めた時の敏行の高揚感は情景の美しさにも優って見おろす感覚、藤原家の人として登り詰める事への感慨にも思えました。
白菊を天の川を構成する星として捉えているのでしょう。菊の花が一つずつポツポツと植えられているとしても、それぞれを一つの星と捉えるのにはやや無理がありそうです。
いずれにせよ、天皇に殿上で歌を詠ませていただくことへの感謝を伝えているのでしょう。
宮中は雲の上にあるような場所ですね。
そこで歌を詠めることの喜びと感謝の気持ちがすごく伝わってきました。
気持ちが高揚してますね。
たとえの仕方に作者の喜びがよく表れていますね。さんさんだったら、何にたとえますか?