《春の雁・秋の雁》

題しらす よみ人しらす

はるかすみかすみていにしかりかねはいまそなくなるあききりのうへに (210)

春霞かすみて往にし雁金は今ぞ鳴くなる秋霧の上に

「春霞が霞んで去ってしまった雁は今鳴いているようだ。秋霧の上に。」

「往にし」の「に」は自然的完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、経験の助動詞「き」の連体形。「雁金」は歌語で、雁のこと。「今ぞ」の「ぞ」は、係助詞で、強調を表し、係り結びとして働いている。文末を連体形にする。「鳴くなる」の「なる」は聴覚推定の助動詞「なり」の連体形。ここで切れる。「秋霧の上に」は、倒置になっている。
雁は、春霞が立って、その中に入って、姿が霞むように去って行った。その雁が帰って来て、今この時に鳴いているようだ。秋霧の上なのでその姿は見えないけれど。
鳴き声を聞き、あれは春に去って行った雁が帰って来たのだと確信する。時の移り変わりの早さを思いつつ、懐かしさを抱く。雁は、秋にも春を思わせる鳥である。雁の姿は、春には霞、秋には霧とベールに包まれている。しかし、たとえ姿が見えなくても、雁であることは鳴き声からわかると言う。
春と秋は、伝統的に比較の対照として意識されることが多い。春、秋の一方を意識すると、他方も自然に意識することになる。ここでも、雁を介して、春霞と秋霧が共に雁の姿を隠すものとして捉えられている。

コメント

  1. すいわ より:

    存在を匂わせつつ、本体を隠している。同じことなのに、これから消えるのと姿を表すのではインパクトが格段に違います。秋の巻なのに春霞?と思いましたが、「いないいないばぁ」の「ばぁ」がメイン、なるほど秋の巻ですね。先ぶれの雁ですらそうなのだから、過ぎた春よりも否応無しに本格的な秋の訪れに期待が高まります。

    • 山川 信一 より:

      「春霞」と「秋霧」の対照から技巧的な歌のみと思われがちです。しかし、初雁が帰雁を思わせるのは一般的で自然な感情です。この歌はそれに形を与えただけです。技巧のための技巧ではありません。
      『万葉集』の家持に次の歌があります。「春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来ずあらめや」これは春に帰雁を詠んだ歌ですが、ここでは秋を思っています。
      雁は、春と秋とを繋ぐ鳥なのですね。

  2. らん より:

    秋霧も春霞もなんだか帝の御簾みたいですね。
    見えないものは想像が膨らみます。
    見えないけど鳴き声は聞こえ確かにそこにいて。神秘的です。

    • 山川 信一 より:

      想像力を刺激するものこそ魅力的ですね。これを秘すれば花と言うのでしょう。
      御簾は帝を、春霞や秋霧は雁を、神秘的・魅力的にしますね。

タイトルとURLをコピーしました