第百六十一段  俗説の当ての無さ

 花のさかりは、冬至より百五十日とも、時正の後、七日ともいへど、立春より七十五日、おほやうたがはず。

時正:(じしょう)昼夜の長さが等しいという意。春分と秋分の日。

「花の盛りは、冬至から百五十日とも、春分の後、七日とも言うけれど、立春から七十五日というのが、大体間違いない。」

桜の盛りの時期は、今も昔も関心事の一つである。そのためか、いろいろな説があり、時期にはかなり開きがある。「冬至から百五十日」なら、五月二十日頃。「時正の後、七日」なら、三月二十八日頃。「立春より七十五日」なら、四月十九日頃。ただ、いずれも旧暦であるから、新暦にすると次のようになる。順に、六月十九日頃、四月二十八日頃、五月十九日頃になる。その理由を推測するに、長い間には、気候変動があり、その時代時代にできた言葉なのだろう。いずれの時代も今よりは寒冷化していたようだ。兼好は、俗説の中程の時期を提案している。兼好の時代に合わせたのだろう。だから、気候変動までには考えが及んでいないことがわかる。前の段にある「常にいふ事に、かかる事のみおほし。」の例として、つまり、世間に言うことはあまり当てにならない例として挙げている。したがって、その例としては説得力に欠ける。

コメント

  1. すいわ より:

    随分前に国立近代美術館でショーケースの端から端まで桜尽くしの巻物を見たことがあります。全て違う種類の桜がひと枝ずつ描かれていて、昔はそこかしこに色々な桜が咲いて開花期も様々、今より長い期間楽しめたのだろうなと思った事があります。今は桜と言うと「染井吉野」が圧倒的で一度に咲いてあっという間に花時が終わりますが、先の巻物を思い出して「冬至から百五十日とも、春分の後、七日とも言うけれど、立春から七十五日」、「〜」それぞれその期間なのだと思いました。
    それにしても、兼好、無難に真ん中を取っているのですね。納得のいく説明にはなっておりませんね。

    • 山川 信一 より:

      「昔はそこかしこに色々な桜が咲いて開花期も様々」であったなら、それぞれ別の桜について行っていたのかも知れませんね。でも、ここでは一般化して「花」と捉えています。そうした配慮は成されていません。何でも真ん中を取ればいいと言うものではありませんね。

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