寛平御時きさいの宮の歌合のうた 紀秋岑
なつやまにこひしきひとやいりにけむこゑふりたててなくほとときす (158)
夏山に恋しき人や入りにけむ声振り立てて鳴く郭公
「宇多天皇の御代、皇后温子様が主催された歌合わせの歌 紀秋岑
夏山に恋しい人が入ってしまったのだろうか、声を張り上げて鳴く郭公は。」
「や」は、係助詞で疑問を表す。係り結びになっている。「にけむ」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けむ」は過去推量の助動詞の連体形。ここで切れる。下の句が倒置になっている。
郭公を「恋しき人」と擬人化している。作者は、郭公の鳴き声から受ける印象を、この擬人化を含むたとえを用いて表した。つまり、鳴き声がそれほど切なそうに聞こえたのである。この郭公も直ぐに恋人を追って山に向かってしまいそうだ。これが山に帰る直前の鳴き声なのだと、この時期の郭公の鳴き声の特徴を捉えている。
歌の構造にも工夫がある。「恋しき人」が郭公であることは、上の句を読んだ時にはまだわからない。下の句まで読んでわかる仕掛けになっている。初めは恋の歌かと思わせ、それを裏切ることで、意外性を持たせている。そして、このたとえが郭公の鳴き声から受ける印象を表すためだったのだと納得させる。
なるほど、共感できる。そう思って聞けば、そのようにも聞こえる。しかし、所詮、鳥の鳴き声である。それをどう聞くかは、聞く方の心持ちによる。作者にそう聞こえたのは、作者にも同じような経験にあったからだろう。作者の事情が想像できる。
コメント
「こゑふりたてて」は切なさを通り越して悲痛な印象を受けました。追い縋って山に入っても濃い緑にその人の姿は隠されて迷ってしまうような。と思ったら郭公なのですね。キッパリとした郭公の声、暗く見える程の深緑の山、盛夏の輪郭がくっきりと浮かび上がります。
確かに「こゑふりたてて」には悲痛さが感じられますね。「夏山」と敢えて言うところから、「暗く見える程の深緑の山」が浮かび上がってきますね。