題しらす よみ人しらす
さつきまつはなたちはなのかをかけはむかしのひとのそてのかそする (139)
五月待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする
「五月を待って咲く花橘、その香を嗅いだところ、昔馴染みの人の香りがする。」
「五月待つ花橘」は、咲くを省略した凝縮した表現で、「待つ」が強調される。「花橘」は「五月」を待って咲くのである。そのことから「五月」と「花橘」の強い結びつきを感じさせ、「花橘」を「五月」の花として強く印象づけている。「嗅げば」の「ば」は、後に続く事柄の条件を表す。「・・・したところ」の意。「袖の香ぞする」「ぞ」は係助詞で強調。係り結びになっている。香りがしたことへの感動を表す。
当時の貴族は、袖に好みの香を焚きしめていた。香りは記憶を呼び覚ます働きがある。花橘の香りによって、その香を袖に焚きしめていた人のことを思い出したのである。柑橘系の香りが似合う、この季節に相応しい人だったのだろう。
題知らずになっているので、この歌が詠まれた状況が限定されず、読み手の想像力を刺激する。物語を感じさせ、様々な場面が想像される。その一つが『伊勢物語』の第六十段にある。昔、自分を見限って、別の男の妻になった女に再会する。女はすっかり落ちぶれていた。この歌を読みかけて、自分がかつての男であったことを伝える。女は恥じて尼になってしまう。「昔の人」という表現が利いている。
いずれにせよ、花橘の香りのする五月は、人の心を過去に誘う季節なのだろう。その気分を詠んでいる。
コメント
新緑の頃、若い青葉の中、一層濃い緑に真っ白な花が咲き、鮮烈な印象を残す橘、その冴え冴えとした香りが否応なしに記憶に働きかけるのですね。
蘇る面影、でもその「人」は今、側にはおらず、思い出せとばかりに香りに包まれる、、
「伊勢物語」を知ってしまっているので物語に引きずられてしまいますが、歌単体で見ると、色のコントラスト、香りの印象から、五月の薫風、爽やかさを感じさせます。
この歌は、五月の視覚的に清々しさを感じさせるもの、つまり、白い花と新緑の見事なコントラストを、封印とまで言わなくても、背景に押しやっています。読み手の関心がそちらに向かないように仕掛けているのです。その上で、香りによる懐かしさに焦点を当てています。自然から人事へと動く心を表しています。
香で一気に昔にタイムスリップですね。
香の力ってすごいですね。
香りは記憶を呼び起こす働きがあるそうです。らんさんにもそんな経験がありませんか?「あれっ、この香り、何だか懐かしい気がする。」なんて。