二条のきさきのはるのはしめの御うた
ゆきのうちにはるはきにけりうくひすのこほれるなみたいまやとくらむ(4)
雪の内に春は来にけり鶯の凍れる涙今や溶くらむ
「まだ雪がある内に春が来ていたのだなあ。それなら、鶯の凍っている涙が今は溶けているだろうか。」
「けり」は、今まで気づかなかったことに気づいて感動する思いを表す助動詞である。「らむ」は、現在推量の助動詞。「いまごろ~だろう」の意を表す。
鶯は鳴く(泣く)から涙を流すはずだ。その涙も冬の寒さで凍ってしまっただろう。しかし、まだ雪はあっても春になったのだから、今は溶けているのだろう。その声を早く聞きたいものだと言うのである。
二条の后は、在原業平と恋に落ちた、あの藤原高子である。(『伊勢物語』)后になってからは、歌人を保護し、和歌の隆盛に関わったとされる。ならば、『古今和歌集』の成立にも深く関係していたに違いない。それは、この位置に后の和歌が載っていることから想像される。
この歌の内容を深読みすれば、后は、業平らの歌人を「うぐひす」にたとえているのかも知れない。『古今和歌集』の成立によって、冷遇されていた歌人たちの悲しみも溶ける時が来たと読むこともできる。
コメント
鶯は鳴く(泣く)から涙を流す、凍った涙が春の訪れとともに溶けて、、風景を描いているのに心の奥に春の暖かさの灯るような感覚を覚えます。
鶯は「彼」かと思ったのですが、高子自身と考えると歌集との関わりも詠み込める、という読み、恐れ入りました。
一部読みを訂正しました。翆和さんのおっしゃるように「鶯」は「彼」の方がよさそうです。
鶯は歌を歌う存在です。ならば、歌人をたとえたと読む方がいいでしょう。それに鶯はここには居ないのですから、自分をたとえるのは変でした。
鶯は歌人ですね。納得できました。
先生、歌人はこの時代、冷遇されてたのですか。
貫之が仮名序で「やまとうたは」と勇ましく語っているのは、歌の地位を引き上げよう、歌人の地位を引き上げようとしているからでもあると思います。
それと言うのも、歌人たちは、政治的には恵まれない人たちでしたから。
先生、ありがとうございました。
歌人がそういう地位の人たちであったこと、よく分かりました。
『古今和歌集』の成立によって、少しは立場が向上したのでは無いでしょうか。それにしても、漢詩よりはレベルが低いと思われていたようです。
現代でも、短歌だけで食べていける人はほとんどいないでしょう。いつの時代も、歌は趣味なのです。