七日になりぬ。おなじみなとにあり。けふはあをむまをおもへどかひなし。たゞなみのしろきのみぞみゆる。かゝるあひだにひとのいへのいけとなあるところよりこひはなくてふなよりはじめてかはのも、うみのも、ことものども、ながびつにになひつゞけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる。うたあり。そのうた、
「あさぢふののべにしあればみづもなきいけにつみつるわかななりけり」。
いとをかしかし。このいけといふはところのななり。よきひとのをとこにつきてくだりてすみけるなり。このながびつのものはみなひとわらはまでにくれたれば、あきみちてふなこどもははらつづみをうちてうみをさへおどろかしてなみたてつべし。
七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬を思へど甲斐なし。たゞ浪の白きのみぞ見ゆる。かゝる間に人の家の池と名ある所より鯉は無くて鮒より始めて川のも、海のも、異物ども、長櫃に担ひ続けておこせたり。若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。その歌、
「淺茅生の野邊にしあれば水も無き池に摘みつる若菜なりけり」。
いとをかしかし。この池と言ふは所の名なり。よき人の男に付きて下りて住みけるなり。この長櫃の物は皆人童までにくれたれば、飽き滿ちて舟子どもは腹皷をうちて海をさへ驚かして浪立てつべし。
あをむま:白馬節会のこと。正月七日に宮中で行われる儀式。
ひとのいへ:これまであまり関わりが無かった人の家。
こひはなくて:「池」と言えば、「鯉」という連想が起こるけれど、鯉は無くて。
あさぢふののべにしあればみづもなきいけにつみつるわかななりけり:ここはチガヤがまばらに咲いている野辺にすぎないので、気が付いてみれば、この若菜は水も無い「池」で摘んだ若菜であったことだなあ。
いとをかしかし:とても心惹かれる気の利いた歌だよね。
よきひと:身分の高い女性。
問 ①~④からどのような思いがわかるか、答えなさい。
①「七日になりぬ」
②「たゞなみのしろきのみぞみゆる」
③「わかなぞけふをばしらせたる」
④「ふなこどもははらつづみをうちてうみをさへおどろかしてなみたてつべし」(「さへ」は「までも」の意。)
コメント
①とうとう7日になってしまった。年が明けて松が明けるというのに全く京へ着くのはいつになることやら。やれやれ。
白馬節なのにあをむま(黒毛馬)なのですか?
②京に着いていたのなら宮中行事にも参加出来ていたであろうに白馬の立て髪が風にたなびく如くこのように白波立っては船は出せない。残念な気持ちで私の心も波立ってしまう。
「かゝるあひだ」は停泊しているこの数日、ということでしょうか?「人のいへ」「こひはなくて(恋心を抱くような関係ではない?)」→親しい間柄の人ではない所から次々に贈り物が届けられて来ていたが
③今日は若菜が届けられた。あぁ今日は七草粥を頂く日と気付かされた、歌まで添えられて気の利いた事だ
④ご馳走に預かって船子達は満腹、上機嫌で腹鼓を打つのはいいが、大騒ぎで海までも驚かして、また、海が荒れてしまうのではないか、と心配になる
①ここは、自然的完了の助動詞「ぬ」(~てしまった)が利いていますね。「白馬節会」なのに、「あをうま」と読むのは、次の事情によります。当初、黒馬が行事で使用されていましが、醍醐天皇のころになると白馬または葦毛の馬が行事に使用されるようになりました。しかし、名称はそのまま受け継がれ、「白馬」を「あをうま」と読むようになりました。
②一種のぼやきですね。白波から想像するしかない、やれやれ。心の白波でもありますね。「かゝるあひだ」は停泊しているこの数日ですね。「こひ」は恋も掛けていますね。「人」だから、「こひはなくて」と受けたのでしょう。
③この贈り物は嬉しかったでしょう。やっと季節にふさわしいことができるからです。贈り主への好意が湧いてきます。これこそありたき贈り物だと思っています。
④ここは、「たてつべし」ですから、今現在波立っていることを言っています。人為的完了「つ」は終わりを示します。今荒れているのは、驚かしてしまった結果に違いない、そんな思いです。