《恋の恨み》

題しらす よみ人しらす

わたつみのわかみこすなみたちかへりあまのすむてふうらみつるかな (816)

海神の我が身越す波立ち返り海人の住むてふうらみつるかな

「題知らず 詠み人知らず
海の私の身を越す波が立ち返り漁師が住むという浦見るように恨むことだなあ。」

「海神の我が身越す波」は、「立ち返り」を導く序詞。「海人の住むてふ」は、「浦」を導く序詞。「うらみ」は、「浦見」と「恨み」の掛詞。「(うらみ)つるかな」の「つる」は、助動詞「つ」の連体形で意志的完了を表す。「かな」は、終助詞で詠嘆を表す。
海の神が立てる私の身を超えるほどの高い波、その波が繰り返すように、そして、漁師が住むという浦を日々見るように、あの人のことを恨んでしまったなあ。
作者は、つらい恋を振り返り、その時の自分に苦々しさを感じつつも、もう終わったものだと思っている。
この歌も前の歌と同様に恋とは何かを表している。つまり、恋とは、恨みに終わるものであり、そんな自分を苦々しく振り返る営みなのだと。二重の序詞が使われている。これは、「海神の我が身越す波立ち返り」という新鮮な題材を使った序詞による「恨み」のイメージ化である。その「恨み」という「波」は、「海神」によるものであって、人の力が及ばないと言う。また、序詞を二度使うことで「恨み」が何度も何度も繰り返されることを暗示している。一方、音韻では「み」音が三度繰り返されている。そのことも「恨み」の繰り返しを暗示している。そして、「つ」という助動詞によって、この歌を作った時点では、すべてが終わったことであることを表している。編集者は、このように隅々まで思いが行き渡った表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    確かに「み」音が繰り返す事でリズム感があると思いました。加えて第四句まで「Wa-Wa-Ta-A」と解放音が続く事で大波が何度も押し寄せ、第五句の「U」がぎゅっと結ばれることで「うらみつるかな」の語がクローズアップされます。立場が上の家の女とでも付き合って恋の過程でも横槍が入り、詠み手の力ではどうすることもできない波乱が何度もあったのでしょうか。そうまでして叶ったはずの恋の終焉。良い時もあったでしょうに「うらみつるかな」、後味の悪い別れだったのでしょう。
    歌がこなれているところを見ると、歌に昇華して少しでも慰めとなったのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      「第四句まで「Wa-Wa-Ta-A」と解放音が続く事で大波が何度も押し寄せ、第五句の「U」がぎゅっと結ばれることで「うらみつるかな」の語がクローズアップされます。」のご指摘は鋭いですね。納得しました。私は、「(わたつ)み」が「(わが)み」に働きかけて「(うら)み」になるという流れのみに注目していました。しかし、それだけではなかったようですね。
      全体としては、「つる」によって、終わった恋に達観している感じがします。意志的完了の助動詞「つ」が効いています。同じ完了でも「ぬ」が始まりを表すのに対して「つ」は終わりを表します。

タイトルとURLをコピーしました