《季節を超えて》

題しらす よみ人しらす

うゑていにしあきたかるまてみえこねはけさはつかりのねにそなきぬる (776)

植ゑて往にし秋田苅るまで見え来ねば今朝初雁の音にぞなきぬる

「題知らず 詠み人知らず
植えていった秋田を苅るまで逢いに来なかったので、今朝初雁の声に泣いてしまった。」

「(往に)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(来)ねば」の「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「(音に)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「なきぬる」の「なき」は、「鳴き」と「泣き」の意を表す。「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。
あの人が春に植えていった苗が色づいて、田が実りの秋の田になった。けれど、それでもあの人は逢いに来てくれない。だから、私は、今朝初雁の声を聞いて、初雁が鳴くのと同じように声を上げて泣いてしまった。
この歌も訪れない男を待つ女の悲しみを詠んでいる。この歌は、「秋田」と「初雁」を題材にして季節の移ろいを表し、男がいかに長い間訪れなかったことを伝える。実りの「秋田」が対照的に、「初雁」の鳴き声が類想的に女の事情を際立たせる。苗を植え、田を苅り、初が鳴くという時間の経過を過去の助動詞「き」と完了の助動詞「ぬ」を使って表す。また、「雁の音」を出すことで視覚だけでなく聴覚にも訴える。編集者は、こうした女の事情をリアルに表す題材の用い方と助動詞による表現を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    訪れない男を待つ女。春の逢瀬から季節は移ろい、秋の朝、いよいよ雁の戻ってきた声を聞いたというのに貴方は戻ってこない。雁の初音に泣いてしまった、。
    春から秋までという長いスパンに対して「けさ」とピンスポットで切り抜かれるところが引っかかりました。
    逢瀬の後、待てども待てども貴方は来ない。いよいよ実ったものを刈り入れる(生まれる)頃になっても。今朝、初雁の音(産声)を聞いて泣いてしまった、、「期待できない恋の歌」なのでしょうけれど、こんな風に読めてしまいました。

    • 山川 信一 より:

      稲の実りは、対照的に実らぬ恋を印象づけているのではないでしょうか。また、「今朝」にスポットを当てたのは、今を感じさせリアリティを生み出すためではないでしょうか。「ぬ」は、「つ」と異なり「始まり」を表します。これからも泣き続けるのでしょう。

  2. まりりん より:

    恋人は春に訪れて苗を植えていった。いくら待ってもその後に訪れがなく、寂しさに耐えながら秋になり、とうとう稲刈りの時期になった。初雁が鳴いて、その鳴き声に我に帰り、耐えていたものが一気に溢れ出る。溢れる涙は止まることなく…

    • 山川 信一 より:

      耐えたのは「寂しさ」ばかりではなく夏の「暑さ」もあったはず。だから、秋風は待ち望んでいたものでした。ところが、それがそうは感じられないのです。その意味では、前の歌の「初雁の声」にしても、普通なら待ち望んでいたものですね。ところが、失恋が邪魔してそうは感じさせてくれないと言うのです。

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