業平朝臣の伊勢のくににまかりたりける時、斉宮なりける人にいとみそかにあひて又のあしたに人やるすへなくて思ひをりけるあひたに、女のもとよりおこせたりける よみ人しらす
きみやこしわれやゆきけむおもほえすゆめかうつつかねてかさめてか (645)
君や来し我や行きけむ思ほえず夢か現か寝てか覚めてか
「業平の朝臣が伊勢国に下った時、斎宮であった人に大層秘かに逢って次の朝に後朝の歌を持っていかせる人をやる方法が無くて思案しているところに、女の元から寄こした 詠み人知らず
君が来たのか私が行ったのだろうか。わからない。夢か現実か寝てか覚めてかも。」
「(君)や」「(我)や」は、いずれも係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。この疑問は問い掛けである。「(来)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(行き)けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形。「(思ほえ)ず」は、打消の助動詞「ず」の終止形。「(夢)か(現)か(寝て)か(覚めて)か」の「か」は、いずれも終助詞で詠嘆を伴う疑問を表す。
あなたが来たのでしょうか、それとも私が行ったのでしょうか、確かに考えられません。あのことは夢なのか、現実なのか、寝ていたのか、起きていたのかも。
作者は、昨夜の出来事を受け止めきれずにいる。それでその判断を相手に託している。斎宮とは、伊勢神宮に使える未婚の女性である。作者の行為は許されるものではない。恐らく初めての恋であろう。しかも、相手は恋の達人業平である。難なくその手に落ちてしまい、思わず、禁忌を犯してしまったのである。そのため、朝になって自分の取った行動に戸惑っている。そこで、恋の作法も無視して自分の方から後朝の歌を贈っている。
この歌は、初めて恋をした、それも、禁断の恋をしてしまった女性の心理を見事に表している。しかも、その戸惑い故に、女の方から後朝の歌を贈っている極めて珍しいケースである。編集者は、こうした点を評価したのだろう。
なお、この歌は、『伊勢物語』第六十九段に載っている。『伊勢物語』最大の事件である。だから、この物語の名前もそこから付いている。
コメント
「伊勢物語」、教科書では部分しかさらわないので何故「伊勢」なのだろうと漠然と思いながら放置したまま、この「国語教室」で初めて物語と共に旅をし「伊勢」へ辿り着きました。当時の人にとっては恋の作法をことごとく破って、身分的にも禁忌を犯した大スキャンダル。恋の達人、業平をもってしても予測不能の行動をする彼女に心掴まれたのでしょう。でも、彼女は「君」と言いながら、自分に起こったことへの戸惑いの方が大きく、心の揺れを訴えるばかりで相手に対する気持ちが何一つ詠まれていない。常識から全て外れている、常識でははかりきれないのが「恋」。そうした意味で斬新な歌なのでしょう。
恋の醍醐味は禁忌にあるのでしょうか?許されない恋ほど、情熱的になりそうです。しかも、『伊勢物語』では、斎宮の女性が業平を訪ねたことになっています。処女の女性のなんと大胆なこと。しかし、振り返って不安にもなります。相手のことなど、考える余裕も無いのでしょう。
恋人と幸せな時間を過ごして幸せな夢を見て、小鳥の鳴き声で目覚め寝ぼけている時、このような気持ちなのかと思いました。これでは、いくら禁忌であってもやめられませんよね。それに、禁断の恋こそ燃え上がりますものね。
女性は処女で初めて恋。しかも、斎宮という立場。許されない恋ほど燃え上がりますね。しかし、一方で不安も募ります。その思いがよく表れていますね。