《今ここでない所》

題しらす よみ人しらす

ほとときすなくこゑきけはわかれにしふるさとさへそこひしかりける

郭公鳴く声聞けば別れにし故郷さへぞ恋しかりける

「郭公の鳴く声を聞くと、別れてしまった馴染みの場所までもが恋しいことだなあ。」

「別れにし」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形、「し」は経験の助動詞「き」の連体形。既に別れてしまったのである。「さへ」は副助詞で添加を表す。「までも」の意。他を暗示している。「ぞ」は係助詞。強調、係り結びを表す。文末が連体形になる。「ける」は「けり」の連体形で、恋しいことを確認し、詠嘆している。
郭公の鳴き声を聞いたことによって、恋しい思いを抱く。「別れにし」は「故郷」に掛かっている。しかし、実は書かれていない恋人を暗示している。つまり、「恋人と別れてしまった故郷」を意味している。「故郷」は恋人と過ごした場所なのである。郭公の鳴き声によって、その風景が蘇る。だから、恋しいのだ。別れたのは、郭公の鳴く頃だったのだろう。作者の思いは分析的である。郭公の鳴き声を聞いて恋しくなることをこうして分析している。
郭公の鳴き声による連想は、時間だけでなく空間にも及ぶ。「石上古き都の郭公声ばかりこそ昔なりけれ」の歌では、郭公の声によって、思いが時間軸を行き来している。それに対して、この歌では、時間軸に加えて空間軸をも行き来している。

コメント

  1. OHNO より:

    山川先生!!
    晁桜会のお便り第65巻第2号で拝見いたしました!!
    変わらぬ文章、おなつかしゅうございます。新卒新任の先生を、おっラッキーと8mm映画同好会の顧問に引きずり込んでしまいましたこと、40年たちました現在心よりお詫び申し上げます。
    その郭公の場所にはうるさく愚かなイモOIN生しかおりませんが、お手すきの際にでもよろしければメールをくださいませ。

    • 山川 信一 より:

      思い出してくれて、ありがとうございます。あの時の映画、覚えています。楽しかったですね。あっという間の40年。しかし、今もここで授業をしています。どうぞ聴きに来てくださいね。
      わかりました。そのうちメールいたします。

      • らん より:

        ほととぎすの歌もたくさんあるのですね。
        時間と空間を超えて、あの時に帰りたくなりますね。
        「時をかける少女」みたいに。

  2. すいわ より:

    何か物悲しさを感じさせます。「ふるさと“さへ”」とする事で書かれていない別れてしまった恋しい対象への思いがより深化するようで、過去へと、そして今は離れてしまった懐かしい場所へと強く呼び戻される感覚を味わいます。「呼子鳥」なのですね。
    郭公、「死」のイメージがあって「ふるさと」の言葉と相まって肉親(親)との別れかと思ったのですが、「夏」という事を考えると思いに熱量が加わり、なるほど「愛しい人」が浮かび上がってきます。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、郭公には死のイメージがありますね。黄泉の国に通う鳥ですから。ただ、おっしゃるように夏という季節感、そして、「ふるさと」が今の故郷とは少しイメージが違うこと、つまり、恋のイメージが伴うことから考えて、やはり、別れてしまった人は恋人でしょう。

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