《つれなさの訳》

題しらす みふのたたみね

ありあけのつれなくみえしわかれよりあかつきはかりうきものはなし (625)

有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂き物は無し

「題知らず 壬生忠岑
有明の月がつれなく見えた別れから暁ほどつらいものは無い。」

「(見え)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(暁)ばかり」は副助詞で限定を表す。
あなたにお逢いできたあの夜を思い出しています。なのに、つらくてなりません。あの夜、私は満たされない思いを抱いてあなたの元を去りました。見上げると、夜明けの空に有明の月が掛かっていました。私の目にその月がなんと無情に見えたことでしょう。あの時以来、私にとって、暁くらい恨めしく思えるものはなくなりました。
後朝の歌である。宵に女の元を訪れた男は、女との逢瀬の後に暁に女の元を去らなければならない。しかし、それは愛し合う者にとってつらいしきたりである。そんな作者の目に、有明の月がつれなく見えたのである。ただし、そう見えたのは、女がつれなく見えたからだろう。逢ってくれたのだから、相思相愛の仲ではある。ただし、思いが全く同じという訳ではなかった。作者は、自分の思いが勝っていたと言いたいのだろう。しかし、それは事実ではあるまい。女も同様につらいはずだ。そんな女の気持ちを気遣い、慰めようと作者は女に拗ねて見せたのである。
編集者は季節を詠み込んだ歌を続ける。「有明」は、秋の季語であるから、この歌の季節は秋である。この歌は手の込んだ技巧は凝らされていない。表現はさりげない。しかし、「つれなく見えし別れ」が利いている。つれなさが月と女の両方を表しているからだ。月がつれなく見えるのは女のつれなさがそう見せていると言いたいのに、そうは言わない。言わなくても読み手にはちゃんと伝わる。編集者はこうした配慮を評価したのだろう。ちなみに、『百人一首』にも取られている。

コメント

  1. すいわ より:

    「逢えたものの、別れ際、女が冷たいそぶりを見せたのを見逃さなかった。そんな帰途、見上げた月も冷たくて彼女の面差しが重なって暁の頃がそれ以来辛くてならない」だと思っていたのですが。逢瀬が叶っての後朝の別れ、女が別れ難さと裏腹に冷たい態度を取ったのではないか?その面影を月に重ねて、帰らねばならない暁の頃を男は疎ましく思う。私だってあなたを残して帰りたくはないのだ、と。

    • 山川 信一 より:

      有明の月がつれなく見えた理由は、読み手によって色々と想像されますね。たとえば、実際に女がつれなかったのかとか。こう言うことで、自分がいかに別れがたく思っていたかを示そうとしたのかとか。そこにこの歌の魅力があります。

  2. まりりん より:

    想い合っていれば、逢瀬の後に明け方別れるのが辛いのは、現代でも同じですね。この時代は、有明の月がつれなく見えたとしたら、現代では、、恨めしいのは始発電車の音でしょうか。幸せな時間は終わり、仕事に行かなければ、と?

    • 山川 信一 より:

      まりりんさん、女性の立場からもらって嬉しい現代の後朝の歌を作ってください。花粉症が軽くなったらでいいので。

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