題しらす ふかやふ
いまははやこひしなましをあひみむとたのめしことそいのちなりける (613)
今は早恋ひ死なましを逢ひ見むと頼めし言ぞ命なりける
「題知らず 深養父
今はもう恋い死んでしまっていただろうに。逢おうという言葉が命であったのだなあ。」
「(恋ひ死)なましを」の「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の連体形。「を」は、接続助詞で逆接を表す。「(頼め)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(こと)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「なりける」の「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形。
今はもう恋い死にしてしまっていたところでしたのに、何とかこうして生きながらえています。それと言うのも、あなたの「逢って契りをかわそう」という約束の言葉を頼みにしていたからです。それがこの命を支えてくれていたのでした。あなたの言葉は私の命なのです。どうか、その言葉を実行に移してください。
作者は、恋人の約束の言葉を頼りにして生きながらえていると言う。なのに、約束を果たしてくれない恋人の不実に恨み言を言っている。「(死な)まし」と反実仮想の助動詞を使っているのは、もし「頼めし言」が無かったら、死んでいたという思いを表している。
この歌は、恋人の言葉を命として生きているという、言われてみれば、恋する者なら誰でも共感できる内容である。その意味では希に見る発見ではない。言わば、「あるある」である。しかし、問題はそれをどう三十一文字にまとめるかだ。その点この歌は、「まし」(反実仮想)「む」(未来)「し」(過去)「ける」(詠嘆)の助動詞を効果的に使い手際よくまとめている。編集者はその点を評価したのだろう。
コメント
「逢ひ見む」という約束の言葉が無ければとても生きてはいられない、今の自分はとうに儚いものになってしまっていたであろう。だから約束を違えてはなりませんよ、私を生かすも殺すもあなた次第なのだから。簡潔に書いたつもりでも歌の3倍は文字数を使っていますね。歌、恐るべしです。
溢れるばかりの思いを凝縮して伝えるのが歌ですね。言葉はすべてを言い尽くせない不自由な手段です。いくら言葉を費やしてもすべてを言い尽くすことはできません。ならば、凝縮した言葉で読み手の想像力に訴えた方がいい。そう考えたのです。
凝縮された言葉。その言葉に命を支えられていると。言葉の力って、本当にすごいと思います。命を支える一方で、使い方によっては人の命を奪ってしまうこともありますよね。使い方重要です。怖い怖い。。
『古今和歌集』の歌では、助動詞が重要な働きをしています。マクロな「言葉の力」だけでなく、ミクロな言葉の働きも味わいましょう。