《嘘と真実》

題しらす 大江千里

ねになきてひちにしかともはるさめにぬれにしそてととははこたへむ (577)

音に泣きて漬ちにしかども春雨に濡れにし袖と問はば答えむ

「題知らず 大江千里
声を立てて泣いて濡れてしまったけれど、春雨に濡れてしまったと聞かれるなら答えよう。」

「(漬ち)にしかども」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形。「ども」は、接続助詞で逆接を表す。「(濡れ)にし」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「(問は)ば」は、接続助詞で仮定を表す。「(答え)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。
あなたに逢えないつらさに思わず声を立てて泣いて、私の袖はその涙でびしょ濡れになってしまいました。大の男としては恥ずかしい限りです。しかも、人に聞かれたら、私があなたに恋していることがわかってしまいます。これでは、あなたに迷惑を掛けることになります。ですから、もし泣いている訳を人から問われたら、折から降っている春雨に濡れたと答えることにしましょう。
一、二句は誇張表現である。もっと言えば、嘘である。たとえ声を立てて泣いたとしても、実際に涙で袖が濡れるなどということは有り得ない。そして、三、四、五句は、仮定である。つまり、この歌は事実をほとんど言っていない。しかし、人を騙そうとするための嘘ではない。なぜなら、表現する方も受け取る方も嘘と承知しているからである。それでいて、真実を伝えている。その真実とは、恋のつらさであり、春雨のせいだと誤魔化そうとする誠意である。相手はそれを受け取ることができる。
前の歌とは涙繋がりで、この歌は涙を題材にした歌のバリエーションの一つになっている。編集者は、その点と事実でなくても真実を伝えられる例として、この歌を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    声を上げて泣くほどの辛さ、大きな感情を春雨のベールで隠す。何事も無かったかのように平静を装う。冒頭、音で注目を引き濡れそぼるその姿を目撃させる。歌を受け取った人が詠み手の思惑通りに想像するであろう事が読み手にも伝わる。辛い、でも知られてはならない。この詠み手の「ウソ」の大きさは思いの深さに受け取られるだろうし、「ゴマカシ」は読み手には強がりとしてかえって愛嬌のあるものと受け取られるかも。

    • 山川 信一 より:

      作者は、この「ウソ」と「ゴマカシ」が相手にどう受け取られるかをちゃんとわかっているようですね。なかなかしたたかな人物のようです。

  2. まりりん より:

    大袈裟過ぎる表現が否定されないのは、出る杭は打たれるけれど出過ぎた杭は打たれない、に近いところがあるでしょうか。この開き直りが却って堂々として誠意に感じるのは私だけでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      多分、多くの人が同じように感じると思います。初めから嘘とわかる嘘は、嘘ではありません。真実を伝えるための嘘もあります。大事なのは、誠意があるかどうかです。

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