第百十三段  老年の心得

 四十にもあまりぬる人の、色めきたる方、おのづから忍びてあらんは、いかがはせん。言にうち出でて、男・女の事、人のうへをも言ひたはぶるるこそ、似げなく、見苦しけれ、大かた聞きにくく見苦しき事、老人の若き人にまじはりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人をへだてなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人に饗応せんときらめきたる。

「四十あまりにもなってしまった人が、好色方面のことに、自然と人知れず向くとしたら、それは仕方がない。言葉に出して、男女間の情事、人の身の上までも面白おかしく言うのは、年齢にふさわしくなく、見苦しいが、おしなべて聞きにくく見苦しいことは、老人が若い人に交わって、面白がらせて受けようとものを言っているの。取るに足らない身で、世に名望ある人を親しい間柄であるかのように言うの。貧乏な家で、酒宴を好み、客にご馳走しようと、派手に振る舞っているの。」

年を取ってからの心得を説く。四十を越したあたりは、心身共にそれほどの衰えがない。だから、色恋方面のことも、こっそりとするのは仕方がない、しかし、表立って口にするのは年齢にふさわしくなく見苦しいと言う。ごもっともである。
また、老人になったら、若い人に受けを狙ったり、一角の人物のようにものを言ったり、身の程知らずに派手に振る舞ったりするのは見苦しい。なるほど、これらは老人にありがちな態度である。傍から見ると、みっともない。だから、そうしたい気持ちのままに振る舞うべきではない。身の程を弁え孤独に耐えて、後世を願い仏道に励めと言いたいのだろう。
しかし、これらはいずれも、老年の寂しさから来る自然な態度である。見苦しいの一言で片付けるのは、少し冷たい気もする。同情の余地はある。
老人である私も、我が身を振り返ってみた。若い人に交わる機会こそほとんど無いし、それを求めたいとも思わないけれど、「興あらんと物言ひゐたる」気持ちはわかる。これに従って、奇を衒う物言いは慎みたい。

コメント

  1. すいわ より:

    必要以上に自分を大きく見せてみたり、過去の武勇伝(本当か嘘か?)を延々披露して見せたり(過去に戻って確かめられないのに)、そういうのは格好付けですよね。確かに見苦しいです。
    未知のものに対する好奇心や他者に対する感情は万人のもの、年齢は関係ないです。年を重ねた人の経験から学ぶ事もある。
    法師たちに対しての戒めとしてであれば、なるほど脇目を振らず孤高に精進したまえ、という事でしょう。相手に対して敬意を持って接するのであれば「興あらんと物言ひゐたる」のは悪いことではないと思います。80才と3才の友情を私は見て、確かに成立していると思ったことがあります。

    • 山川 信一 より:

      兼好の主張も正しい一面はあるけれど、それですべてが割り切れるわけではありませんね。すいわさんのご経験にはほっとします。

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