《若者の恋》

寛平御時きさいの宮の歌合のうた 藤原おきかせ

しぬるいのちいきもやするとこころみにたまのをはかりあはむといはなむ (568)

死ぬる命生きもやすると試みに玉の緒ばかり逢はむと言はなむ

「寛平御時の后の宮の歌合の歌 藤原興風
死ぬ命が生きでもするかと試みに短い時間でいいから逢おうと言って欲しい。」

「生きもやする」の「や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「する」は、サ行変格活用の動詞「す」の連体形。「(逢は)む」は、意志の助動詞「む」の終止形。「(言は)なむ」は、終助詞で願望を表す。
あなたに逢えないつらさに命が尽きようとしています。逢えないつらさがこれほどのものとは思ってもみませんでした。恋に死ぬとはこれを言うのですね。でも、戯れでもいいので、長い時間は無理でもほんのちょっとだけ逢おうと言っていただけませんか。死ぬはずのこの命がそれに力を得てひょっとして生きて行くかも知れません。ぜひ、あなたの存在がどれほどのものかを試してみてください。
作者は、まだ若く、激しい情熱の持ち主らしい。前の歌にもまして過激な内容になっている。確かに、恋する相手に逢えないことはつらい。生きていても仕方がないとさえ思う。死んでしまいたくなる。それが実際に体にも影響することもあろう。作者は、そのつらさを直接相手にぶつけている。それが相手の心を動かすと信じて、相手の気持ちを考えることなく突っ走っている。恋の激しさが伝わってくる。しかし、これで上手く行く保証はどこにも無いのだ。
この歌は、若者の恋の一面をよく捉えている。若者の恋とは、いつの世も一途である。現代でも、この歌に共感する若者は多いだろう。大人なら懐かしく、微笑ましく、あるいは、苦々しく思うかも知れない。編集者は、この歌の持つ普遍性を評価したのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「玉の緒」は短いことを象徴するのでしょうか?確かに身に付けるものを思い浮かべた時に帯などに比べたら、真珠など貴重なものを通した宝物の紐の長さは短いでしょう。その玉(=命)を繋ぐ細い糸、頼みの糸となって欲しい。生かすも殺すもあなた次第。どうかこの苦しい思いをほんの僅かな情けを掛けてお救い下さい、といったところなのでしょうか。後先考えず相手に猪突猛進。迸る思いを止められない様子がわかります。力が有り余って空回りしなければ良いのだけれど、それが若さなのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      若いときにしか詠めない歌ですね。「玉の緒」は、おっしゃるとおりです。真珠を繋ぐ糸です。だから短い。自分の命を繋ぐという暗喩でもありますね。表現が巧みです。興風は若者に成り切って作ったのでしょう。作者自身は冷静なのです。

  2. まりりん より:

    作者は、若い人だったらこう詠むだろう、と考えたのですね。あるいは、自身が若い時の体験でしょうか。
    短い時間でも構わないから逢いたいという情熱的な言葉は嬉しいですね。でも、恋愛で生き死にを言われると此方は引いてしまいますが、、それは私がオバサンだから?

    • 山川 信一 より:

      作者は、若者の気持ちになって詠んだのでしょう。おそらく、自分の経験をもとにして。そうじゃなくてはこうは詠めません。
      「ああ、若いなあ。」と思うところまでは同じでも、そこから先は人それぞれですね。

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