寛平御時きさいの宮の歌合のうた みふのたたみね
かきくらしふるしらゆきのしたきえにきえてものおもふころにもあるかな (566)
掻き暗し降る白雪の下消えに消えてもの思ふ頃にもあるかな
「寛平御時の后の宮の歌合の歌 壬生忠岑
空を暗くして降る白雪が下から消えていくように消えてものを思う頃であるなあ。」
「掻き暗し降る白雪の下消えに」は、「消えて」を導く序詞。「かな」は、詠嘆の終助詞。
空を暗くして雪が降っています。それはまるで今の私の暗い心を暗示するかのようです。暗さゆえかえって雪の白さが際立ちます。それも純粋にあなたを思う私の混じりけの無い私の心のようです。でも、私の心は、あなたに逢えない寂しさに、積もった雪が下の方から溶けて消えていくように、外からは見えないでしょうが、次第に消えていくように思えます。私は、この頃こんな日々を過ごしています。
この歌は歌合の歌ではあるが、当然現実の場面を踏まえている。作者は、実際に雪が降る日に恋人を思う経験があったに違いない。その時の心情がよく表れている。暗い空、降り続く白雪、積もっても下から消えていく有様を利用して、自分心を巧みに伝えている。
選者の歌が続く。寛平御時の后の宮の歌合のお題が冬だったのだろうか。一つ前の友則の霜の歌に続いて、忠岑は雪を出している。自然の風物をいかに恋の歌に詠み込んでいくかの手本を示しているかのようである。応用はいくらでも利きそうである。「忍ぶ恋」「見えない心」のバリエーションである。編集者は、その点を評価したのだろう。
コメント
「消えてもの思う頃」が伝えたい所なのですね。降り続く雪に空は閉ざされ明るい兆しのないまま延々と降り積もる。積もり積もって押し潰れて行くあの下消えの雪のように私のあなたへの気持ちも募り過ぎて今にも死んでしまいそうだ。(そうなる前にどうかあなたの手を私に差し伸べて下さい、あなたという光が差せば重い雪も溶けて私の隠れた思いは報われます)。上手い歌、ですね。でも、根雪のように重い。
「根雪のように重い」と感じさせることが効果的なのかどうかは、相手と時と場合によります。それは傍から見た表現の良し悪しとは別にありますね。
冬の寒い日にシンシンと音もなく降る雪。空は暗く、ただでさえ気持ちが沈みそうな日。
心が消える という事がよく分かりませんが、寂しくて、心を持つ自分自身が消えてしまいそう、という事でしょうか。後から降り積もる雪の下で、貴方にも誰にも気づかれないまま…
確かに「心が消える」に当たる経験は自明ではありませんね。どういうことかを想像する価値がありそうです。「生きた心地がしない」「何も感じられなくなる」「心が真っ白になる」「虚無的になる」などなど想像してみましょう。でも、わからない方が幸せですね。