題しらす 小野小町
いとせめてこひしきときはうはたまのよるのころもをかへしてそきる (554)
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る
「すごく差し迫って恋しい時は夜の衣を裏返して着る。」
「むばたまの」は、「夜」に掛かる枕詞。「ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「着る」は、上一段活用の動詞「着る」の連体形。
すごく差し迫ってあの人のことが恋しい夜は、心も体もいつもと違って眠れない。夜が殊更暗く、朝までの時間がいつもより長く感じられる。この火照った体を何とかしなくてはこの時間に耐えられない。そうだ、夜の衣を裏返しに着よう。この体を冷ますために。
この歌は、愛しい人が恋しくて眠れない時に作者がした行為そのものを詠んでいる。「夜の衣を返してぞ着る」と「ぞ」によって、「夜の衣を返」すという行為を強調している。つまり、そうせざるを得ない作者の思いを詠んでいるのだ。当時は、夜の衣を裏返しで着ると恋しい人が夢に現れるという俗信があった。この歌は、それを踏まえている。しかし、普段そんな俗信を信じない作者もいざとなると信じてしまうと言っているのではない。愛しい人が恋しくて恋しくてたまらない時には、体が火照って眠れなくなるはずだ。夜に衣を裏返しにするのは、それを冷ますためである。
夢の歌が二首続いたので、この歌は夢から離れている。恋しさに眠れない時の思いの歌を載せた。この歌には、昔も今も変わらない大人の女がリアルに表れている。編集者は、その点を評価したのだろう。
コメント
「独寝の淋しさにとても耐えられない夜は、おまじないを信じて夢での逢瀬を期待して寝るの」表向き少女の無邪気な歌のように見えて、でも、この歌を特定の誰かに送ったと考えると、「夜の衣を返して着る」を強調しているあたり、「今宵、私を訪ねる人はいないけれど夜着を返して寝たら、さぁ、あなたじゃない誰が逢いに来るかしら?」と言ったらニュアンスになりますね。今まさに衣を裏返して着るビジョンが想像されて。裏返すには脱がなくてはなりませんからね、歌を受け取った方は取るものも取り敢えず急ぎお出かけ下さい。小野小町、モテるわけですね。脱帽。
この歌は大人の歌ですね。男心を巧みにそそっているようです。それもさりげなく。なんとしたたかな女でしょう。貫之の「つよからざす」評価は、あくまで歌の表現に向けたもの。この女、一筋縄ではいきません。
火照った体を冷ますために「夜の衣を返す」。確かに歌を受け取った人はドキッとしますね。相手が尻込みするか、他の人に先を越されないように慌ててやってくるか、、相手の出方を見て楽しんでいるようにも思えます。
小町はさりげなくきわどいことを言いますね。小町からこんな歌を贈られたら、出掛けない男はいないでしょう。罪な女です。